他人の話にがんばって共感するとき
0.001%でも共感できる部分があったら、99.999%の共感できない部分に触れずに、共感した部分についてだけ共感しましたと伝えるようにしてる
ちょっとでも『異なる』ならば『異なる』にするのではなく、ちょっとでも『同じ』ならば『同じ』とするようなイメージ。
前記事の話がまあまあ関連すると思ったので書いた。
共感しにくい話に共感するというのは、実は『ちょっとでも間違ってるところがあると我慢できないんだよね(ニチャアアアアアアア』なタイプの人に向いてる気がする。ちょっとでも共感するところを探すだけだから。そんで共感できないところを言わないようにするだけだから(実はこれが一番大事かもしれない。共感できないことを言った瞬間にすべての共感のポーズは無に帰す場合があるから)。自分は少なくとも昔はニチャアだった。
99.9%間違ってる話に『たしかにぼくもそう思うよ!だって〇〇が××(0.1%だけ正しい部分)ってことでしょ!?絶対そうだよ!』というだけ。
ちなみに現実の問題はそもそも正しいとか間違ってるとかの判定がそもそも難しかったりする(マジレスベースではよくわからないことが大半)のだが、『ちょっとでも間違ってるところがあると我慢できないんだよね(ニチャアアアアアアア』の人はそれができるので問題ない(ニチャ。
ちなみに尊敬する人とか偉い人としゃべるときにはほぼすべての日本人がやってることだと思う。でも自分は、尊敬してない人とか偉いと思ってない人には自然と共感できない逆贔屓状態になるので意図的にこういうことをしなくてはならない。人間が小さい。