一言で『同じ』と『異なる』と表現するということ
数学とかカードゲームの『異なる』は99.9%同じでも0.1%異なるんだったら異なる。
日常生活で使う違うは大体同じだったら結構違っても『同じ』と表現したりする。
自分が子供のときにそれって何歳ぐらいからはっきり意識したんだろうか。『同じ部分があり、かつ違う部分もある』ような問題(画像のような)に触れたとき、よくよく考えてみるとコレは『同じ』に分類すべきなのか?『異なる』に分類すべきなのか?と迷ってしまったことがあったのではないか。そうだともそうでないとも全然覚えていないが。
どこかの教科のどこかのタイミングでそういうルールだと学習してそれに慣れていくのだと思う。多分自分もそうだったんだろう。でも迷ってしまった時期もあったんじゃないかなーと。
そういう間違え方をした子供もいたんじゃないかなと思った。そういう意味で過去の自分に熟慮させても普通に間違えるかもなと思った。まあそういう意味でなくともなんか今の自分が想定できないような変な理由で間違えてたりもするんだろうが。
あとこれは別の問題だが、【この場合は『異なる』なんだ】と大人に教えられたらその用法が絶対的に正しいんだと信じてる時期はあった。少なくとも、便宜的に『同じ』と日常会話で表現することはあっても、厳密により正しいのは『異なる』と分類することなんだと思っていたと思う。
言葉の意味に『本当は』とか『厳密に』というのが厳密に考えたら本当はあると思っていた。誰かが決めたとか慣習でそうなってるとかのほかに、宇宙が誕生する以前の世界の真理としてそういう事実があると思っていたはず。