吉備路で感じた死後の世界
みなさん、ようやくコロナが癒えて復活しました。とはいえ食べたものの味が分かりません💦
しかしながら復帰第一弾として、岡山で私が感じた『死後の世界』をご紹介したいと思います。
吉備路にて
皆さん、岡山県にある『吉備路』はごぞんじでしょう。
緩やかな丘陵地帯に古墳やきれいなお寺が点在している、心が穏やかになる美しい小径です。
私は20年前に吉備路を訪れ、自転車で散策したことがあります。
自宅のある鳥取県境港市から、自動車で2時間程度で到着する近場スポットです。
車に自転車を積み込み、いざ出発。備中国分寺の無料駐車場に車を止めて自転車を走らせました。
蚊に刺されながら大きな古墳に登ったり、低い丘の上にある美しい備中国分寺を散策しながら吉備路を進みます。
鼻ぐり塚
美しい田園地帯を自転車で進むと、『鼻ぐり塚』という看板が見えてきました。
鼻ぐり塚は今まで見て来た美しいお寺や古墳と違い、柵で囲われた地味なエリアです。
柵の門から中に入りましたが、何やら重苦しい異様な雰囲気が漂っています。一瞬入るのを躊躇しましたが、せっかく来たので重い足を動かして柵の中に入っていきました。
中には石碑が建っていて、その奥には金属でできた無数の小さな輪ッカが積み上げられた小山がこしらえてあります。
そこには説明板があり、輪ッカでできた山の由来が書いてありました。
その輪ッカは、食肉にされた牛や豚が鼻に穴をあけられて装着させられていた金属の鼻輪を家畜の処分後、慰霊のために積み上げたと書いてありました。
『鼻ぐり塚』とは処分された家畜の鼻輪が積み上げられた小山のことだったのです。
鼻ぐり塚で感じたあの世の景色
鼻ぐり塚の前は門を入るときに感じた重ぐるしさが倍増し、真昼間で晴天であるにもかかわらず、太陽が沈む寸前のような夕方の空と脂汗がにじみ出てくるような蒸し暑さを感じました。
じっと立っていると、聞くともなくざわざわと家畜が騒ぐ声まで聞こえてくるような気がして、思わずあたりを見回しましたが家畜の姿は見えません。
とっさに私は今、家畜たちの死後の世界を感じているのだと気付きました。
蒸し暑い夕暮れの中、低く唸るような家畜たちの鳴き声。
恨むでもなく、怒るでもなく、ただ淡々と家畜たちは重苦しい声で話すように鳴いているのです。
私は手を合わせることもせず、じっとその場に立ちすくんでいました。
死後の世界観
みなさんは死後の世界をどのように想像されますか?
暗く冷たく、静寂の広がる世界でしょうか。
花の咲き誇る、きれいな草原の世界でしょうか。
私の死後の世界観は、この日に構築されたと言っていいと思います。
『夕暮れの蒸し暑い空気の中で、霊たちの姿は見えないが、話し声がガヤガヤと騒がしい世界』
これが私の体感した死後の世界です。
家畜たちも人間も、死後はこのような世界に行くのだと思っています。
それがイヤなことなのか、嬉しいことなのかわかりませんが、少なくとも楽しい世界でないような気はします。
それでも最期を迎えたら、淡々とこの世界へ行くのだと思います。