一日遅れの忠臣蔵
毎度のごとく東京出張ですが、今回は宿泊が大井町ということで高輪の泉岳寺に近いし時期も忠臣蔵。
ということで、仮名手本忠臣蔵の聖地巡礼をしてみました。
(遊んでばかりでゴメンナサイ、石をぶつけられそうで怖い!
泉岳寺 義士祭最終日
今回の東京出張はちょうど赤穂浪士の討ち入りがあった翌日の、12月15日となりました。
「ナイスタイミング!」
しかもホテルが大井町なので、赤穂義士のお墓がある泉岳寺にとても近いのです。
朝一の飛行機を予約して、羽田には午前8時には到着しました。
最初に向かうのは泉岳寺です。ここには赤穂義士47人のお墓と、浅野内匠頭とその妻「瑤泉院」のお墓があります。
時間もあることだし、ゆっくりと墓前に手を合わそうと大井町から高輪ゲートウェイ駅に向かいました。
ところが、駅から泉岳寺まで大勢の人が歩いています。
明らかに泉岳寺に向かっている集団です。
泉岳寺に付くと、その意味が分かりました。
今日は赤穂義士を称える祭り、「義士祭」の最終日なのです。
墓所をお参りするためには、300円でお線香を買わなければなりません。
買うのは別に構わないのですが、たくさんの人が参拝しているので線香の煙がすさまじい!
もうもうと煙る線香の煙をかいくぐり、義士たちのお墓に手を合わせました。
水野監物邸跡
泉岳寺を出て次に目指すのは、水野監物邸跡です。
ここは絶世の美少年といわれる義士「矢頭右衛門七」をはじめとする9人が、切腹までの間預けられた場所とのこと。
泉岳寺に近いと言われていたので、鼻歌交じりで歩いていきましたが、これが何とも距離離れすぎ。
高輪ゲートウェイから電車でとなりの田町駅に行けばすぐに着いたものの、歩きで向かったため20分以上かかってしまいました。
Googleマップを頼りに到着したものの、それらしき場所がありません。
近くを四十七士のコスプレをしたおばさんたちが歩いていたので、あとを付いて行くと料理屋風の店の庭に入っていきます。
何とその庭に、水野監物邸跡の説明版がありました。
いゃぁ、どう見ても普通の店の庭です。
少し拍子抜けしました。
浅野内匠頭 終焉の地
田町駅からJR京浜東北線に乗って新橋で下車しました。
目的地は浅野内匠頭が切腹した、田村右京太夫の屋敷があった場所に向かいます。
駅から歩くこと10分程度だったでしょうか、マップを頼りに歩くと大通りの歩道に「浅野内匠頭終焉の地」という標識棒が立っていました。
刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭は、この屋敷の庭で即日切腹しました。
普通大名クラスともなると、長い日数をかけて詮議をしたのち、それなりの邸宅の座敷で切腹と言うのが常識です。
それを詮議もせずに即日庭で切腹!江戸庶民はこの仕打ちに憤慨し、この処置の責任者である将軍徳川綱吉を激しくののしりました。
将軍綱吉は大いに面目をうしなったのです。
南部坂雪の別れ ピンチ編
仮名手本忠臣蔵では、内匠頭妻瑤泉院に討ち入りを決心した旨報告に来た大石蔵之助でしたが、間者(吉良家のスパイ)がいることに気づいて「他家に仕官します」と泣く泣くウソをつくシーンがあります。
実際の赤穂事件ではこのようなことは無く創作ですが、あまりにも有名なフィクションシーンなので、このシーンの舞台になった南部坂に行くことにしました。
地図を見ると歩いていけない距離でもないと判断、新橋から赤坂まで歩くことにしました。
しかし、いくら歩いてもまだまだ先です。
完全に距離を読み違えていました。
歩きすぎたのか、腹が下ってピンチを迎えます。
トイレを探すのですが、大都会なのにこんな時に限ってトイレがない!
「溜池山王」という駅に入って、トイレ場所の矢印に沿って進むのですが遠くてたどり着かないのです。
ようやくトイレに入り、ドアをしめつつズボンとパンツを同時に脱ぎ、座りつつ鍵を閉めるという早業で間一髪セーフとなりました💦
用を足し終え、駅を出るため改札を抜けようとするとブザーが鳴ってゲートが閉まるのです。
トイレは改札の中にあったので、PASMOをタッチして改札を抜けてトイレに入ったのですが、出ようとすると閉じ込めようとするのでした。
大阪では改札を抜けても、またタッチすれば出られたのに東京はそうはいかないようです。
仕方なく隣の赤坂見附まで地下鉄で行き、そこから歩くことにしました。
南部坂雪の別れ 本編
30分も歩きグダグダになりながら、ようやく南部坂の近くにある氷川神社に着きました。
「全てはうんこがしたくなったのが悪い!」
ぼやきながら神社を見学しましたが、とても立派な神社でたくさんの人がお参りをしていました。
ここ氷川神社は、浅野内匠頭切腹の後、妻瑤泉院が預けられていた場所らしいです。
全てがフィクションという訳ではなく、赤穂事件にゆかりのある場所だということが分かりました。
参拝後、すぐ近くにある南部坂に行ってみました。
何てことない坂でしたが、物語の舞台になった場所だということで記念写真を撮った次第です。
吉良邸跡 一日遅れの討ち入り!
地下鉄とJRを乗り継ぎ、両国の吉良邸に行くことにしました。
ここが一番盛り上がる討ち入りシーンの場所なので、行かない選択はありません。
住宅地の一角に小さな土塀があります。
脇には吉良邸の幟が立ててあるので、ここが吉良邸跡だとすぐに分かりました。
当時は広大な敷地面積だったのですが、いまは猫の額ほどの敷地が保存されています。
中には顕彰碑や、吉良上野介の首を洗ったと言われる井戸などがありましたが、映画で見るような広大な屋敷ではないのでイマイチ実感がわきません。
近くに「吉良饅頭」という饅頭を売っている和菓子屋さんがありましたが、新橋で「切腹最中」を買ったので饅頭を買うのは控えました。
完全に予算オーバーになってしまいます。
忠臣蔵ゆかりの地を巡って
吉良邸を後に、大井町のホテルに帰りました。
義士が預けられた毛利の屋敷跡である六本木ヒルズや、江戸城の松の廊下にも行ってみたかったのですが、足が棒になりここでギブアップです。
たまたま義士祭の日に行くことができて幸運でしたが、人の少ない時期にゆっくりと回りたいとも思いました。
ふがいない男とはいえ、わたくしまなきねこも男の端くれです。
討ち入りの真実は別として、忠臣蔵の物語に登場する男たちにはあこがれます。
義を通し、死をもいとわない男たちにロマンを感じました。
(女性を卑下しているわけではありません、そこんとこよろしくです💦)
次の機会には、動画も撮りたいと思います。