インド
人口世界一目前。
またGDPでは植民地時代にインドを支配していたイギリスを抜かして現在世界ランキング5位のインド。
そして第二次世界大戦の戦勝国である、米中露英仏の常任理事国が核を持ちいい世界にしよう結ばれた核不拡散条約にインドが加盟していないにも関わらず、核保有国であり、軍事費は世界第3位。
しかしインドは外交に関して世界で謎の立ち位置にいるとされている。
謎その一 ロシアウクライナ戦争非難決議の棄権
謎そのニ インドは中国の最大貿易相手であるが、日米豪印QUADに加盟し中国の経済を警戒している
謎その三 ロシアから石油を買う量を増やした
これらの謎を解決する為に、インド外交史を年代別に紹介して謎を解こうと思う。
1947年 イギリスから独立
1949年 中華人民共和国成立
→インドと中国はアジアの兄弟とされていた
1960年代 インドと中国が対立
1950年 中国がチベットを統治
→中国は宗教を否定する共産主義、チベットは最高指導者がダライ・ラマ14世のチベット仏教を人々は信仰していた
1959年 ダライ・ラマ14世がインドに亡命
1962年 中印国境紛争
→インドが中国に敗北
→インドとチベット間にはヒマラヤ山脈がある為、国境ラインを正確に規定するのが難しい為衝突は免れなかった
1970年代 インドがソ連に接近
→ロシア・ウクライナ戦争非難決議の棄権に繋がる
1947-1989年 米ソ冷戦
→アメリカは共産主義と仲が悪かったが1970年代にアメリカと中国が和解した
1947-1949年 第一次インドパキスタン戦争
1965-1966年 第二次インドパキスタン戦争
1971年 第三次インドパキスタン戦争
→二国がイギリスに歯向かわないように分断政策として、インドのヒンドゥー教とパキスタンのイスラム教で争わせた
1980年代 ソ連崩壊
→インドが外交的に大きく変わる=日本と韓国(当時中国以外でイケてた国)の関係を強化するルック・イースト政策
→中国は経済的には資本主義を選択する
→アメリカが韓国を作り、ソ連は北朝鮮を作っていたが北朝鮮は独自路線の王国化をした
1950-1980年代 インド低迷
→政治的には民主主義政治で経済的には社会主義政策を取る=国内の産業を育成する為、外資系産業に厳しいルールを設けていた
1991年 湾岸戦争
→戦争によって戦争の費用が送金されない+石油の高騰
→インド財務大臣のマンモハン・シンが規制撤廃し、外資系産業介入を可能にし改革を開放
1990年代 日本バブル崩壊と中国・インド急成長
→インドが核実験を始め(=中国に攻められない為の安全保障理論)、アメリカがインドに経済制裁
→ソ連崩壊によりアメリカ一極の時代が終わり、アメリカは商売を考え始める
2000年代 アメリカがインドに接近
→ 米印原子力合意(核拡散条約に加盟していなくても原子力関係の取引を可能にする特例措置)=インドが核を保有する代わりにアメリカの原子力発電所を買う
→インドの法律で原子力発電所の事故が起きたら発電機のメーカー(アメリカ)も賠償すると定められている為、アメリカがインドに手出しができなくなった
→ロシアがアメリカの代わりに原発をインドに推進
2010年代 テクノロジー関係が大躍進し中国が台頭
→広い国土や人口、豊富な天然資源を有し、今後大きく成長することが見込まれているBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)=中国とインドは最大の貿易相手となる
2020年代 習近平体制
→一帯一路構想=陸はシルクロードでヨーロッパへ海はインド洋を経てヨーロッパへという巨大な経済圏を作る
→インドは中国とピリつき始めたアメリカを使う=QUAD(日米豪印戦略対話/中国の一帯一路警戒)=ロシアから武器とエネルギー(石油/原子力発電等)、中国から商売(BRICS)、アメリカとは安全保障(QUAD)
結論
謎その一 ロシアウクライナ戦争非難決議の棄権&謎その三 ロシアから石油を買う量を増やした
→ロシアから武器やエネルギーを購入している為
謎そのニ インドは中国の最大貿易相手であるが、日米豪印QUADに加盟し中国の経済を警戒している
→グランドチャイニーズチェッカーズ(複雑に入り組んだ多国間の戦略ゲーム)状態
まとめ
2047年にインドは独立100周年を迎えます。アメリカ一極から、多極化の時代になりインドは巨大な先進国になるとされています。
そして、インドがルック・イースト政策で、日本を見ていたように日本がルック・インディア政策を取り入れればまた日本がより発展するかもしれません。最後まで読んでくださりありがとうございました😊