縄文旋風 第10話 豆と縄文人
本文
ウルシ村の出口付近で、しばらく前からシロクンヌは御山にかかる朝もやの流れを眺めていた。辺りはまだ薄暗い。高原の村の早朝は、すがすがしい気であふれていた。すると、
「いたー、シロクンヌがいたー!」
元気な声が響き、見るとゴザを持ったハニサが駆けて来る。
「もう、大ムロヤに居なかったから、どっか行っちゃったかと思ったよ。」
「どこにも行かないさ。荷物はちゃんと在っただろう。」
「うん。御山を見てたの?」
「ああ。早朝の御山もいいもんだな。雲が尾根を渡って行く様子は、見ていて飽きない。ここで朝めしを食おうか。」
「じゃあゴザに座って待ってて。食べる物を取って来るから。」
一旦、登場人物紹介
シロクンヌ(28)タビンド シロのイエのクンヌ ムマヂカリ(26)大男 タマ(35)料理長 ササヒコ(43)ウルシ村のリーダー コノカミとも呼ばれる ヤッホ(22)ササヒコの息子 お調子者 アコ(20)男勝り クマジイ(63)長老 ハニサ(17)シロクンヌの宿 ハギ(24)ハニサの兄 クズハ(39)ハギとハニサの母親 ヌリホツマ(55)巫女 ホムラ(犬)ムマヂカリの相棒
「こいつは熱あつで旨いな。ヤケドしそうだ。これは何て言う食べ物なんだ?」
「オオ豆くずしって言うの。昨日から煮込んでたんだって。あそこにちょっと見えてるのがオオ豆の畠。あそこで採れたんだよ。」
「あれがそうか。周りの草と見分けがつかんなあ。この村では畠が盛んなのか?」
そこでは他の野草と混在するかたちで、ダイズが栽培されていた。雑草と一緒に大豆も生育する・・・ そんな大雑把とも見える栽培方法であった。
「畠はいくつもあるよ。クマジイが畠の場所を決めるの。草が勢い良く生えてる所がいい畠になるんだって。」
「いい地面だってことか?」
「そう。そこの草を少し刈ってね、種を蒔くの。」
耕さないし雑草も抜かない、完全なる自然農だ。
「他には何を育ててるんだ?」
「あっちにあるのがヒョウタンの畠。この下の森の手前にキビ畠。あの栗林の向こうにえごま畠があるの。」
「あの栗林はかなり広いだろう。その向こうってことは、えごま畠は遠いんだな。」
「えごま畠は獣に荒らされないの。」
「獣はえごまは喰わないのか。」
「そうみたいだね。えごま畠は広いんだよ。実から油を搾(しぼ)るの。ともしび油。明り壺のお祭りで使う油。あと、漆にも混ぜるんだよ。」
「漆に?」
「うん。ツヤを出すためなんだって。」
「ああ、だからあんなにはっきり炎が映っていたのか。しかしえごま油は貴重品だぞ。」
「そう聞くね。でもお祭りの時はいっぱい使うんだよ。使い切ってしまうから、塩のお礼には出して無いんだもん。あと漆蝋(うるしろう)もそう。お祭りでいっぱい使うの。」
「漆蝋まで使うのか!」
「そうだよ。ヌリホツマが作った蝋なの。後でウルシ林を見に行こう。500本植えてあるから。」
「500本?ウルシの木がか?」
「うん。クマジイが管理してるの。ほとんどがおんな樹で、秋の終わりにいっぱい実が生るの。その実で漆蝋を作るんだよ。」
「だけどおとこ樹が少ないのなら、実は生りにくいだろう?」
「ヨラヌのホコラっていう人がいてね、山の洞窟に住んでる人だけど、蜂を飼ってるの。ミツバチ。時々蜂蜜をくれるんだよ。それで春になると、その人が蜂の巣を抱えて来てくれるの。ウルシの花が咲く頃。その人ね、タマのことが好きなんだよ。タマもその人が来ると嬉しそうにしてる。」
「なんだかここは凄い村だな。ホコラと言う名なのか。一度会ってみたいもんだ。」
「毎年明り壺のお祭りには来るよ。でもちょっと変わった人だよ。みんなは哲人って呼んでる。心の眼が開いたとか、そういうことをよく言ってる人。」
シロクンヌはハニサの話し振りに翻弄される思いであった。そして明り壺の祭りが一層楽しみになった。相当な規模のお祭りなのかもしれない。
「あ、陽が差して来た。わー、やっぱり綺麗だ。ねえシロクンヌ、これってどうやって染めたの?」
ハニサはシロクンヌからもらった貝染めの布に感動しているのだ。
「ハニサは海を見たことが無いだろう?」
「うん。スワの湖にだって行ったこと無いよ。村の外で寝たことって一度も無いの。」
「そうなのか。海辺には砂浜と岩場とがあってな、砂浜に棲むのは二枚貝だ。岩場に棲むのが巻貝。だからまず岩場に行って、潜ってニシって巻貝を探す。30個くらい見つけるんだ。」
ニシとはアカニシ貝やイボニシ貝を指す。
「ニシは食べても旨いんだぞ。そのニシから液を採り出して、浜染めするんだよ。」
「こんな綺麗な紫色の液が貝から出るの?」
「ところが違うんだな。まずだな、液を採り出す部位は決まっていて、貝殻がこうあるとすると、この辺りだ。ここを割る。すると膜が見えるから、それを黒切り(黒曜石)で切る。そうやって液を採って集めるんだが、紫ではなく白っぽくて透き通っている。」
「それに何かを混ぜるの?」
「混ぜるとすれば・・・ お日様の光りと風だな。」
「え?」
「不思議なんだぞ。その液を糸の束に塗ると、その束が見る見る紫色に変わっていくんだ。陽の光りに当てるとな。」
「えー!見てる目の前で?」
「ああ。ただし貝が活きていなきゃならないし、その液は遠くへ運べない。だから浜辺で染めるんだよ。一度染まると、洗っても落ちないぞ。」
そんな話をしていると、ホムラが駆け寄って来た。見るとやっぱりムマヂカリが歩いて来る。今日は裸足ではなく靴をはいていた。腰の帯の熊の牙は昨日と同じだが、頭には荒縄で鉢巻きをしていた。よく見ると、サメの歯がひとつ、荒縄からぶら下がっている。
「おはよう!ムマヂカリ。」
「お、おはよう。ハニサが自分から男に挨拶するとはな。」
「うん。なんだか昨日までのあたしじゃないみたい。荷物持ってどっかに行くの?」
「シカ村だ。シロクンヌにもらった貝とサメの歯の半分を塩の礼に出すのだよ。」
「シカ村は遠いのか?」
「いや、今出れば、昼過ぎには着く。途中に難所も無い。だからよく行き来をするのだ。この貝には、向こうの女衆も大喜びするぞ。」
「サメの歯も、よく似合っているではないか。」
「おお、スサラもほめてくれた。気に入っておるのだ。穴を開ける道具にもなるしな。」
スサラというのが、昨日見た子供係りの女なのだろう。
「ムマヂカリは、子はいないのか?」
「一人おるよ。タヂカリと言ってな、6歳になる。そろそろ投げ槍を仕込もうかと思っておるところだ。鹿笛の吹き方も教えてやらんとな。」
「ムマヂカリは鹿笛の名人だってみんなが言ってるんだよ。」
「そうなのか。そろそろ鹿笛の季節だな。」
鹿の発情期にメス鹿の鳴きまねをした笛を吹き、オス鹿をおびき寄せるのが鹿笛だ。縄文遺跡からは、この鹿笛らしき物が出土している。
「シロクンヌ、祭りの準備で今はバタバタしておるが、落ち着いたらみんなで狩りに行こう。おぬし、相当な腕前だろう?タビンドは罠猟はしないと聞く。その場で仕留めながら旅を続けるらしいな。」
「まあそうだが、大物は狙わんよ。一人では食いきれんからな。キジバトやウサギが多い。いいぞ。おれも三月の間、この村で愉しもうと思っている。ここらの狩りの仕方を教えてくれ。」
「こっちこそおぬしの狩りが見てみたい。うお突きもな。ハギもおぬしと、うお突きの腕を競いたいと言っていた。明り壺の祭りの前日に、飛び石の川で、イワナの夜突き大会があるのだ。毎年ハギが優勝なのだが、おぬしも出てみろよ。」
「そうか、新月の祭りだったな。前日なら月も無い。夜突きには最適だ。あそこはイワナがうじゃうじゃいたぞ。なるほどその時のために、ハギはカワウソを追っ払っていたのか。」
「おう。カワウソはハギの天敵だ。だが逆にカワウソ漁もやる。それは別の川筋でやるのだが、それにも出てみろよ。」
「カワウソ猟?カッパ鍋にするのか?」
「いや違う。獲るのは魚だ。」
「ほう、それは知らんな。」
「それもなかなか面白いんだぞ。その2回の漁で、祭りで食う魚を手に入れるんだ。ではおれは行くよ。ハニサ、その首巻き、似合っておるぞ。ホムラ、おまえは留守番だ。熊が来たら追っ払うんだぞ。」
そう言うと、槍をかついで、ムマヂカリはすたすたと村を出て行った。
カワウソ漁とは何なのか?それが気になって、シロクンヌはハニサに訊ねてみた。
「あたしも見たことは無いの。でも兄さんやヤッホやアコも、みんな楽しみにしてる。一発勝負なんだって。背負いカゴに4杯とか獲って帰って来るよ。ウナギとかも混ざってて、ごっそり獲るんだって言ってた。」
「カゴに4杯?相当な数が獲れるんだな。アコも漁に参加するのか?」
「そうだと思う。アコはそういうの好きだから。前回の蜂追い大会でも一等だったって言うし。」
「ハチオイ?そりゃ何だ?」
「地バチの巣を見つけるの。蜂の子獲り。最初に見つけた人が勝ちなんだって。」
「何だか知らんものが一杯出て来たぞ。ハチノコって何だ?」
「え!知らないの!美味しいんだよ。あたしはやったこと無いんだけど、みんな必死になってるよ。上だけ見て走るんだって言ってたよ。必死に追いかけて、崖から落ちる人もいるんだって。去年もね・・・」
ハニサの話し振りに、ふたたび翻弄されるシロクンヌであった。
幕間 縄文時代の栽培について(縄文納豆の可能性)
『縄文旋風』はあくまでも小説ですから、リアルな部分もあるのですが、ファンタジーな部分も多く存在しています。
たとえば漆蝋ですが、実際は無かった可能性が高いです。ウルシの木は、10年育たなければ樹液の採取が出来ません。でも実の方は、1年目から生ると言います。それに作業工程から言っても、樹液を塗膜利用する方が、実から蝋を採るよりも難しいのです。ですから絶対に無かったとは言えないと思うのですが、伝承は途絶えています。もし蝋採りの技術があったのなら、伝承され続けたはずだと思うんですよね。
あと養蜂については、限りなくファンタジーです。
でも大豆の栽培は、限りなくリアルです。大豆そのものは出土していませんが、土器からは多数の圧痕が発見されています。土器から、大豆の押しあとがたくさん見つかっているのです。
ツルマメの栽培種がダイズだと言われています。逆に言えば、ダイズの原種はツルマメだとなります。大きな実を付けたツルマメを選んで、それを種として育てる。それを繰り返すうちに、やがてダイズとして固定していった。そんな説が有力なのですが、圧痕もそれをあらわしています。縄文前期はツルマメの圧痕なのですが、それが年代を追うごとに変化し、中期にはダイズの圧痕が出現します。
でもそれだけではなくですね、縄文時代の早い時期に、なんと納豆が作られていたかもしれないのです。稲わらの渡来以前に、納豆なんて有る訳がないと思いますよね。ところが栗の枯れ葉やトチの枯れ葉から枯草菌を採取するやり方で、美味しい納豆が作れるのだそうです。それどころか大豆以前に、ツルマメの実からでも納豆が出来るそうです。
そしてもしかすると、納豆にして食べる方法を知っていたから、縄文人は固くて食べづらいツルマメの栽培をしていたのかもしれないのです。
それを真剣に研究している人達がいます。
帝京大学付属研究所の教授で、植物考古学が専門の中山誠二先生と、中山先生が館長を務める「南アルプス市ふるさと文化伝承館」のみなさんです。
私は中山先生とお会いしたことはありませんが、電話でお話しさせてもらったことがあります。
中山先生は、当時存在していた物と技法、それだけを使ってどうやればツルマメにバチルス属サブティルスという納豆菌とまったく同じ菌を発生させられるか・・・
その実験に成功し、論文にまとめ、それを去年の5月29日に行われた日本考古学学会で発表したそうです。
「いや、6年掛かりましたよ。」
嬉しそうに、そうおっしゃっていました。
また、発酵学が専門の小泉武夫先生によりますと、納豆菌は腐敗菌や食中毒菌に対して非常に強く、それらの悪い菌を腸内で攻撃し死滅させてしまうそうです。シャーレの上でO157と戦わせても、納豆菌の圧勝だと言います。
私は市販の納豆を自分で天日乾燥させたものを食べていますが、賞味期限を2ヶ月過ぎても食べられますし、タレ無しで美味しいです。普通の納豆はタレ無しでは食べる気がしませんが、乾燥納豆にはタレは邪魔です。
これらを総合すると・・・
もしかすると縄文人は、正露丸のような扱いで、納豆を常備薬にしていたのかもしれない。しかも美味しい常備薬です。そんな気がしてきませんか?