縄文旋風 第8話 大ムロヤ
本文
「シロクンヌ、今夜はここで休んでくれ。あそこに積んである毛皮は、好きに使ってくれていい。昨日クズハが陰干しをしておったから、触り心地も良いはずだ。ムロヤの空きが1棟ある。明日からはそこが宿だ。
クズハは明日、ハニサと宿の準備を頼む。
良い機会だからムロヤを1棟建てようと思う。ヌリホツマ、地の選びと祓えとをお願いする。
ムマヂカリ、貝の半分とサメの歯の半分、明日、塩の礼にシカ村に届けてくれ。」
テキパキと指示を出すササヒコ。紐の通った月透かしを首から下げて、一層威厳が増したように見えた。
一旦、登場人物紹介
シロクンヌ(28)タビンド ムマヂカリ(26)大男 タマ(35)料理長 ササヒコ(43)ウルシ村のリーダー コノカミとも呼ばれる ヤッホ(22)ササヒコの息子 お調子者 アコ(20)男勝り クマジイ(63)長老 ハニサ(17)シロクンヌの宿 ハギ(24)ハニサの兄 クズハ(39)ハギとハニサの母親 ヌリホツマ(55)巫女 ホムラ(犬)ムマヂカリの相棒
ここはウルシ村の大ムロヤ(大型竪穴建物)。シロクンヌ歓迎の宴もお開きとなり、今後の打ち合わせをしておくことになったのだ。集まった顔ぶれはと言うと、ササヒコ、ヌリホツマ、ムマヂカリ、クズハ、そしてシロクンヌである。2基ある石囲い炉の一つに火が入り、5人はそれを囲んでゴザに座っていた。シロクンヌには来客用のゴザが支給されている。
大ムロヤは、普段は土の地面がむき出しになっている。雨天時や寒い冬場の夕食で、全村民が会する場なのだが、催事に使われる事も多い。訪問者の宿舎になったりもする。使う用途によって、ムシロを敷き詰めたり、ゴザや毛皮を敷いたりするのだ。
その大ムロヤだが、いろり屋やどんぐり小屋と「大屋根」と呼ばれるかなりの広さの屋根でつながっていた。その下が、雨天時や降雪時の連絡通路になるのはもちろんだが、麻の茎や木の実などの乾燥に使われる場所となるのだ。ハギが、シロクンヌの絞った16枚のムシロを干したのもそこだ。
それにしても月透かしが村の所有となると言われた時の村人達の狂乱ぶりはすさまじかった。歓喜の声を上げ、踊り始めたのだ。月透かしとはシロクンヌが常にふところに入れて持ち歩いていたヒスイの大珠である。代表してササヒコに手渡されたのだが、みんなが触らせてくれと群がった。自らの手で持って、満月にかざしてみたいのだ。とりあえず一列にならんで、順番に全員が手に取ることとなった。
月にかざして歓声を上げる者、重さに驚く者、加工技術を称賛する者、ニオイを嗅ぐ者・・・誰もが月透かしに夢中になっていた。自分が運んで来た物が村中を歓喜の渦に包んでいる・・・ シロクンヌにしてみれば、まさにタビンド冥利につきる光景となった訳だ。
その月透かしだが、普段はササヒコが保管しておくことになった。のりとをあげる際にはヌリホツマが身に付けるのだろうし、病に臥せった者が出れば、その者が身に付けることになる。そういう感じの村の共有財産的な扱いとなった。
ヒスイの持つ霊性をナカイマの因(中今のちなみ)として不思議な力を発揮する・・・ それが縄文人なのだ。
「ところでシロクンヌ、明り壺の祭りだが、どこかで噂でも耳にしたのか?」
ササヒコの問いかけに、
「ふむ、ここの前はアケビ村で世話になっていた。そこに一人のヨラヌが訪ねて来たんだ。そしておれがタビンドだと知ると、もうすぐ明り壺の祭りだ、見に行ってみろと勧めたんだよ。」
ヨラヌと言うのは、村に属さずに一人とか一家族とかで暮らす者を指す。大抵は近所の村との関係は良好で、時々交流し、物資の交換をするのだ。寄らぬ、依らぬ、頼らぬ人・・・ と言うような意味合いがあり、多少の敬意が込められた呼び方だと言っていい。
それに対し、村からはじき出された者をハグレと言う。ハグレは一所に留まらず、移動する者が多い。とかくもめ事を起こしたりするので、ハグレが近くに棲みつくと村では警戒することになる。
「アケビ村とは聞かぬ名だが、旗いくつでここまで来たのだ?」
ササヒコの言う旗とは、村の目印の旗という意味で、途中にいくつの村を通り過ぎたのかと尋ねているわけだ。
「ここからずっと西にある村だが、間に多分、九つ。」
「まあまあ、シオ村までだって間に六つよ。」
「ふむ、海よりも遠い所から、ずっと野宿だったのか?」
「まあ吊り寝(ハンモック)には慣れているからな。それにタビンドが村に立ち寄れば、相応の渡しをせねばならない。その分、この村への渡しが減ってしまうだろう。」
「見上げたものだな。」
ムマヂカリも感心している。
「だが吊り寝と言うが、オオヤマネコが襲って来はせんか。」
「滅多に来んが、来ればナマ臭いニオイで分かるからな。毛皮が手に入ったりする。」
「返り討ちか。頼もしい男だ。」
「ところで三月の間だが、狩りの手伝いや魚突きももちろん出来るが、こう見えておれは木工が得意なんだ。もし板が足りていなければ、作ってやるが。」
「それならコノカミ、調理台を作ってもらってはどうかしら。古いのが割れてしまったから、お祭りの準備で苦労しそうなの。」
「そうだったな。十日くらいで完成できそうか?」
「まかせてくれ。早速明日から取り掛かるよ。あとクズハ、この外に大屋根があってその右側が一段低くなっていた。そこから細い水路が出来ていたが、そこに湧き水があるのだな?」
「そうよ。いろり屋で使うのはそこの水。」
「ドングリのアク抜きの水晒しもそこか。」
「そう。食べ物関係は全部そこ。洗濯や革なめしなんかは、飛び石の川ね。」
「それならおれに考えがあるんだ。コノカミ、一抱えの槙の木(コウヤマキ)を一本伐りたいんだが。」
「ほう、何か腹案がありそうだな。いいぞ、一本いいのがある。明日一緒に行こう。ヌリホツマ、悪いが明日一緒に森まで行って、祈りを捧げてくれ。」
「また急な話じゃな。それなら身の清めに入らねばならぬ。これでご無礼するぞえ。シロクンヌ、ハニサは今、磐座の上で月浴びをしておる。旗塔の根本じゃ。わしも今から身の清めのためにそこへ向かう。そなたも後から来るがよい。」
「分かった。話がすめば行くよ。まだ少し聞いておきたい事があってな。」
「一人で来るのじゃぞ。」
そう念を押すと、ヌリホツマは大ムロヤを後にした。
「そう言えばいろり屋だが、夜中はどうなっているんだ。」
「男ムロヤの誰かが、交代で番をすることになっておる。壁は無いが、風除けのヨシズはあるのだ。夜中は、大抵それを立て掛けておるな。」
「どうかすると、夜っぴて騒いでおって、コノカミにどやされたりしておるよ。」
「男ムロヤとは言うが、実際はムロヤで寝る者はおらんと言うではないか。見張り小屋で寝たり、夜狩りに出たりでそれぞれがよろしくやっておるのだろう。」
「ハギは今夜、みんなと連れ立ってムササビ狩りに行くと言っていたわよ。」
「満月に誘われて、今頃はブナの森でムササビが飛びかっているだろうな。見張り小屋というのもあるんだな。」
「村の周りに4ヶ所あるの。ウルシ林や畠を鹿や熊が荒らしに来るのよ。明日の朝、ハニサに村を案内させるわね。」
「それがいい。それから森に行こう。シロクンヌ、今までに何人かのタビンドが訪れてくれたが、これほどの物を頂いたのは初めてだ。心から礼を言う。」
「コノカミ、水臭い言い方はよしてくれ。喜んでくれれば、それでおれは満足なんだ。」
「ふむ。ヌリホツマがシロクンヌに何か話がある様子だったな。ここらでお開きとするか。新しい仲間が増え、明日からが楽しみだ。」
「おれはハニサの変わりっぷりがいまだに信じられんよ。まあ相手がシロクンヌだし、目出度い出来事に違いないのだがな。」
「そうだな。では我らは引き上げよう。ムマヂカリ、シカ村への遣い、よろしく頼むぞ。」
「シロクンヌ、あの奥のカドに神坐があるの。明日、ハニサと二人でお参りしてね。」
「やっぱりあれが神坐なんだな。この村ではウサギの毛皮でおんな神をこしらえるのか。おとこ神は石なのか?」
「栗の木よ。」
大ムロヤの奥に薄暗い一角があった。そこは神域で、腰の高さほどの神坐が鎮座していた。一見すると、こんもりと山形になった白兎の毛皮があるだけのように見える。つまりおんな神だけが目に入るのだ。おとこ神はおんな神に包まれているから普段は見えない。おんな神があらわしているのは子宮であり女性器である。一方のおこと神は、男性器そっくりにかたどられていた。安産や子孫繫栄の願いが込められたオブジェであった。
ちなみに石製のおとこ神は遺跡から出土していて、考古学者はそれを石棒(せきぼう)と呼んでいる。
みんなと別れ、シロクンヌは一人旗塔に向かうことにした。満月に照らされ、手火は必要ない。ヌリホツマが一人で来いと念を押していたのが気になるが、シロクンヌとしてもヌリホツマとはゆっくり話しておきたかったので
渡りに船だ。自然、足早になるのだった。
第8話 了。
幕間 石棒(せきぼう)について。
男性器を模した磨製石器で、村落の建物の中や外に置かれていました。縄文中期以降、中部高地を中心に巨大化していったようです。写真は現存する最大の石棒です。子孫繁栄や豊穣の祈りなど、何らかの宗教儀礼、呪術や祭祀で使われたのだろうと言われています。
そして注目すべきは、住居跡で発見される石棒の多くに、焼かれた痕跡が見受けられる点が挙げられます。おそらく炎と関連した儀礼が行われたのでしょう。
ここからは私個人の空想ですが、女性器に見立てた物とセットだったのかもしれないと思っています。表現したかったのは、性行為だったのではないでしょうか。縄文人は性行為を非常に肯定的にとらえていた気がします。それに加え、開けっ広げだったのだろうと思います。
あと石ではなく、栗の木で作られたものについては、完全なる私の創作です。それらしい物は出土していません。しかしそれが存在していたのではないかと考える根拠はあります。
まず、石棒に花を供えるとしたら、栗の花がふさわしいと思いませんか。匂いが・・・
それとですね、縄文人には「栗の木信仰」とでも言いたくなるような点も見受けられるのです。三内丸山遺跡の土壌からは、栗の木の純林と同程度の栗の花粉化石が出ています。それは、栗林の中に村があったと言ってもいいレベルのようです。開花時は匂ったでしょうね(笑)
栗の木は建材として優れていますから、柱に使ったりしていたのは理解できます。が、しかし、タキギとして使うのは最悪です。まあウルシの木を燃やした時のように有毒成分が出るわけではないので、最悪は言い過ぎですが。栗の木を燃やすと、まず爆(は)ぜます。危なくてしょうがない。それに燃え残りが多く出ます。だから樹木を知り尽くしていて、その上で適材適所にこだわっていた縄文人が、屋内で燃やすのは不自然だと言えます。ところが屋内の炉の跡から、栗の木の燃えカスが多く見つかっているのです。これは、栗の木を薪として普段使いしていた訳では無く、栗の木を燃やす儀礼を行った痕跡ではないかと思うのですが。
石で出来た物は燃えませんから遺跡から出土します。栗の木で出来た物は燃えてしまいます。ですから存在していたとしても、遺跡から出るのは燃えカスだけだということになりますね。