縄文旋風 第17話 鬼界カルデラ
本文
ハニサのムロヤ
「わー、たくさん、道具持ってるんだね。この石って何の石?」
「珍しいだろう。瑪瑙(めのう)って石だよ。黒切りは切れ味抜群だが、硬い物には弱い。鹿の骨を削ったりするのには向かないだろう。そんな時には瑪瑙がいい。刃こぼれしにくいんだ。」
「そうなんだ。この石は?」
「ネフ石だ。おれの斧はこの石だよ。ヒスイと同じくらい堅いんだが、ヒスイよりも研ぎやすい。瑪瑙も結構堅いから普通の石では割れない。こいつを使って割るんだ。」
「あ、もっと明るくしようか?」
「いや、このままがいい。気に入ってるんだ、この雰囲気。」
「気に入ってくれたんだ。嬉しい。」
シロクンヌはムシロの上で木彫りを始めた。明かりは、組まれた流木の中心にある漆蝋だけだ。光と影が織りなす妖しい雰囲気が、辺りに漂っている。ハニサは麻の貫頭衣に頭を通し、シロクンヌのすぐそばに座った。
高く昇った立待月(たちまちづき、17番目の月)に照らされた、ハニサのムロヤの中の様子である。
「ねえ、シロクンヌの事をいろいろ知りたいの。聞いたら迷惑?」
「迷惑じゃないさ。何から言えばいい?」
「次はどこに行くのか、予定は決まっているの?」
「フジの向こうだ。そこにシロの里がある。」
「シロの村とかシロの里って、シロのイエの人しか住んでいないの?」
「そんな事は無い。別の生まれの人だっているよ。ただ生まれは違っても、シロのイエの者と関係ある人しか住んではいない。」
「トツギとか?」
「そうだな。あとは、何かを教えてくれる先生とかだ。」
「シロクンヌはどこかに好きな女の人がいるの?」
「いない。」
「良かった! じゃあ他のこと聞いてもいい? 火の山のこと。」
「なんだ、おれのことはもういいのか。」
シロクンヌは思わず苦笑した。
「火の山の何が聞きたい?」
「ほら、昨日、海に沈む村の昔ばなしが話題になったでしょう。あたし、火の山が怒って朝が来なくなったっていうお話を聞いたことがあるの。それって本当の事なの?」
「本当だ。ずっと西に行けば、今だに語り継がれているよ。大昔の出来事なのにな。人もたくさん死んだし、村だって根こそぎ潰された。」
「シロクンヌは、そのお話に詳しいの?」
「ああ。シロのイエに伝わる話もある。」
「イエに伝わる話ってなんだか凄いね。 もしかして、イエの人しか知らないお話なの?」
「中には絶対にイエの者以外に話してはならない物もあるよ。だけど火の山の話はそこまで厳しくは無い。話せる部分だけ、話そうか?」
「聞きたい!」
「だが、それだってむやみに広めていい話ではない。いたずらに人々を不安がらせるだけになってもいかんからな。そこは心得てくれよ。」
「はい。」
「まず、空が割れる音が響いたと言うんだ。その音は、長く続いたらしい。鳥達も騒ぎ、村中、何が起こったのか分からず、ただ震えていたと言う。 やがて音は止んで、普段と同じになった。しかし翌日、いきなり空から灰みたいなのが降ってきて、それが降りやまない。そして空がどんどん暗くなって、降る灰も増え続ける。灰と言っても灰色ではなく、赤いんだよ。そして昼なのに、あたりは真っ暗になってしまったんだ。」
「怖い! その灰は、熱いの?」
「多分だが、熱くは無かったと思う。そういう話は聞かんから。」
「それが、火の山と何か関係があるの?」
「火の山が、降らせた灰なんだ。トコヨクニの四つの洲(しま)、その内の南の二つの洲が灰でやられてしまった。全滅したといっていい。この大きな洲も、西の方はやられた。」
「じゃあ、トコヨクニの半分がやられたの?」
「そう言っていいのかもしれん。何日も灰が降り続け、朝が来なかったと伝わっている。中でも、一番南の洲がひどかった。死に絶えた場所もあったようだぞ。」
「死に絶えたって、それどういうこと?」
「生き物が、いなくなったんだよ。死んでしまったんだ。草や木まで。何もかもが。赤い灰しかないんだ。それが固い土になって、見渡す限り、空の下には、赤く固い土しか見えないんだよ。掘っても掘っても、赤い土以外、何も出てこない。」
「あたし、怖い!」
ハニサはたまらずにシロクンヌに抱きついた。
「おいおい、彫り物してるんだから、危ないぞ。怖いのなら別の話にしようか?」
「いや! 聞きたい! 背中になら、しがみついててもいい?」
「いいが、揺すらないでくれよ。」
「あれ? でも死に絶えたんだったら、そんな話は伝わらないんじゃないの? なんでシロクンヌが知ってるの?」
「逃げのびて、生き残った者もいる。そして後から見に行った者もいるんだよ。見に行った者の中に、シロのイエの者もいた。」
「そういうことか・・・ シロクンヌの背中、あったかい。明日も彫り物する?」
「ああするよ。」
「あたし、明日から、お話、こうやって聞こうかな。あ! あたし、これで器作ろう!」
「なんだ器って? これってなんだ?」
「いいの。それより早く、続き聞かせて!」
「生き残った者の中には、音を聞いて時を経ず灰が降り始めたと言う者もいた。その音は凄まじく、音で気絶した者も出たと言うから想像も付かんな。」
「雷みたいな音?」
「おそらくな。でももっと大きな音だろうが。」
「それが火の山が、火を吹いた音なの?」
「そうだ。それからこういう話もある。どこか遠くで雷が鳴り続けていた。青空なのにおかしいなと思ったという。次の日は何もなく、普通に過ごした。ところがその次の日は、朝が来なかった。奇妙に思って外に出ると、辺りは灰で覆われ、空からどんどん灰が降って来る。」
「それって、遠くまで音が届いたってことなの?」
「その通りだ。それで、音を聞いて生き残った者達というのは、ほとんどが舟で逃げているんだ。陸を逃げて生き残った者の中で、音を聞いたと言った者はいなかったらしい。」
「それって、どういう事なの?」
「灰が積もった地面を歩くと灰が舞う。風が吹いても灰が舞う。その灰を吸い込むと、胸が痛くなって苦しんで死んでしまうらしい。」
「怖い! 」
「それに、眼がやられて何も見えなくなってしまう。」
「そうか。だから水の上なら助かりやすかったんだね。」
「ふむ。それに海には流れがある。流れに乗れば、漕がずに進む。運が良ければ、灰の外まで楽に行けたのかもしれん。音が聞こえる距離では、灰も分厚く積もったのだと思う。その灰から歩いて逃げ出すのは無理だったのかもしれんな。」
「ここらじゃ海が無いから、みんなやられちゃうね。」
「まあそうだろうな。だが、そうそうある事ではない。大昔に一度あったきりだ。」
「そうだね。海って川みたいに流れているの?」
「いや、流れは見えないぞ。でも流れのある場所があるのは間違いない。海の衆は、流れに詳しいんだ。それにな、舟にはたくさんの食料が載せられる。水だってヒョウタンに入れて積んでもいいし引っ張ることだってできる。」
「そうか。舟を持ってる人なら、舟で逃げるよね。舟って筏(いかだ)とは違うんでしょう。人なら何人乗れるの?」
「海の舟は丸木舟と言って、丸太をくり抜いて作るんだ。大きい物なら、5人は余裕で乗れる。人のすき間に荷物だってたくさん載せられる。」
「それに、海でなら魚も獲れるんだ。」
「ふむ。陸に寄せれば貝だって獲れる。海鳥を矢で射てもいい。」
「陸を逃げても、食料はなかなか手に入らなかったかもしれないね。背負って持ち出した分を食べちゃえば、そこまでだったのかも・・・ それでその火の山って、どこにあったの?」
「おそらく、南の洲の一番南。でもどの山なのかは、とうとう分からなかったらしい。」
「火の山って、トコヨクニにはいくつかあるんでしょう。南の洲にも・・・」
こうしてシロクンヌがウルシ村に来て三日が過ぎて行った。多少の波乱含みではあるが、穏やかな日々であった。
そして四日目に、事件は起きた。
第17話 了
登場人物紹介
シロクンヌ(28)タビンド シロのイエのクンヌ ハニサ(17)土器作りの名人 シロクンヌの宿 ムマヂカリ(26)大男 タマ(35)料理長 ササヒコ(43)ウルシ村のリーダー コノカミとも呼ばれる ヤッホ(22)ササヒコの息子 お調子者 アコ(20)男勝り クマジイ(63)長老 ハギ(24)ハニサの兄 クズハ(39)ハギとハニサの母親 ヌリホツマ(55)巫女 タヂカリ(6)ムマヂカリの息子 タホ(4)ヤッホの息子 ホムラ(犬)ムマヂカリの相棒
用語説明
ウルシ村=5千年前の中部高地、物語りの舞台の村。人口50人。巨大な磐座(いわくら)の上に村の目印の旗塔が建っている。 ムロヤ=竪穴住居 大ムロヤ=大型竪穴建物。集会所。 神坐=男神と女神を模したオブジェ。大ムロヤの奥にある。子宝と安産祈願にお参りする。石製の男神は石棒と呼ばれる。
グリッコ=どんぐりクッキー。 貝刃(かいじん)=ハマグリを研いだ刃物。
足半(あしなか)=かかと部分の無い草履。
月透かし=シロクンヌがウルシ村にプレゼントした翡翠の大珠。 黒切り=黒曜石。 ネフ石=ネフライト。斧の石に最適。割れにくい。
手火(たひ・てび)=小さなたいまつ。手で持つか、手火立てに挟んで固定する。
村のカミ=村のリーダー。 コノカミ=この村のリーダー。 ヨラヌ=村に所属せずに一人(一家族)で暮らす人。 ハグレ=村から追い出された者。
トコヨクニ=日本。 クニトコタチ=初代アマカミ。ムロヤや栗の栽培の考案者。 イエ=クニトコタチの血を引く集団。八つある。 クンヌ=イエの頭領。 ナカイマ=中今。一部の縄文人が備えていた不思議な力。
御山(おやま)=ウルシ村の広場から見える、神が住むと伝わる連山。 コタチ山=御山連峰の最高峰。
タビンド=特産品の運搬者。 塩渡り=海辺の村から山部の村まで、村々でつなぐ塩街道。
幕間 鬼界カルデラ アカホヤ大噴火
ここは鹿児島県霧島市にある「上野原縄文の森」地層観察館です。
8番の層が桜島テフラと呼ばれる11,500年前の桜島噴火時の火山灰軽石層。この層の上で、上野原遺跡で暮らしていた人々の痕跡が見つかります。
7番の層は、9,500年前の竪穴住居跡が見つかる層。
ここにはありませんが、6番の層は、縄文早期中葉の土器が見つかった層。5番の層は、縄文前期の土器、土偶、耳飾りなどが見つかった層です。
2,000年以上にわたって、人々はこの地で平和に暮らしていました。そこには、全国的に見てもかなり高度で新進的な縄文文化が花開いていたのです。
そして4番が、アカホヤ地層。
シロクンヌが話している火山灰による地層です。谷間に入り込んでいますよね。
ちなみに3番は腐植土層。
2番は、4,200年前の桜島噴火による火山灰層。
1番は、発掘調査後の埋め土です。
4番のアカホヤ地層、その元となったのが、7,300年前の鬼界カルデラの大噴火です。
赤い所が鬼界カルデラ。黄色の所が地層観察館です。地層観察館は、鬼界カルデラから120㎞離れています。
噴火時には、津波と火砕流も発生しています。オレンジの線の内側で、幸屋火砕流堆積物が出ています。
細長い島が種子島、丸い島が屋久島です。
そもそも噴火して出来たのがカルデラなのに、カルデラが噴火したという言い方に、違和感がありませんか?
でも、カルデラで噴火が起きるのです。実は大噴火は同じ場所で繰り返し発生するので、今あるカルデラは、将来また大噴火する可能性が高いのです。
では、過去一万年の間に地球上で起きた火山噴火の中で最大のものは何かと言えば、7,300年前の鬼界カルデラの大噴火です。アカホヤ大噴火とも呼ばれます。これで、九州の縄文社会は壊滅しました。
鬼界カルデラの場所は、鹿児島県佐多岬の南西30kmの海。そこにある、竹島、薩摩硫黄島が外輪山な訳です。
この噴火により積もった火山灰地層はアカホヤと呼ばれ、東北地方南部や朝鮮半島南部にまで及んでいます。
さて、被災した縄文人はどうしたのでしょうか?
それを調べようとしても、その点について深く探求した書物や文章が、図書館ではなかなか見つからないのです。縄文通史を解説した書物でも、噴火後の様子についてはほとんどスルーしています。率直な感想を述べれば、これは異様な状態だと言わざるを得ません。
私の認識では、アカホヤ大噴火は縄文時代最大の事件であり、その後の世界に大影響を及ぼしているはずです。その影響は日本列島内にとどまらず、東アジア諸地域に及んだのではないか?
縄文通史を書くのなら、そこの解説に10ページは割くべきでしょう。
その分野の研究こそ、考古学の一大課題ではないかと私は思うのですが・・・
ここで思い出して欲しいのは、最初に古本州島の土を踏んだホモサピエンスは、舟で海を渡って来た渡航者だったのです。
38,000年前から、伊豆七島の神津島に、日常的に黒曜石を採りに行っていた人々、その系譜に連なるのが縄文人です。彼ら縄文人には、海洋民としての一面がありました。
当然、舟で逃げ出した家族が何組もいたとは思いませんか?
その中には、大陸に到達した者もいたでしょう。
それはおそらく、村が形成できるほどに。
例えば韓国出土の最古の磨製石器は、7,000年前の物です。
あるいは言語学の方面では、日本語と朝鮮語は6,800年前に分岐したという説があります。
そして遺伝子学方面では、韓国人の中にわずかですが縄文人の母系遺伝子が見られ、極々わずかですが、縄文人の父系遺伝子が発見されています。
これは、女は子を産まされ、男は殺されたとも捉えられます。
しかし考古学者は、大陸からの影響は語りたがりますが、大陸への影響は語ろうとしません。いや、そもそも見ようとしていない。
そうせざるを得ない事情が、何かあるのかも知れませんね。