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縄文旋風 第5話 ハニサ

「ならぬぞえ。」
ヌリホツマの、低い声が響き渡った。

⦅今、おれに言ったのか?心の中まで見透かされてしまったのか?⦆

シロクンヌは、再び石のように固まっていた。

                 第4話 了。 
 
                 第5話


「ならぬと言うておろう。ムマヂカリや、ホムラをなんとかしておくれ。わしのヒザに登ってこようとしておって、言う事を聞かん。」
ホムラとはムマヂカリの相棒の犬である。しっぽを大きく振って、ヌリホツマにじゃれついているのだ。
「ああすまん。ホムラ、こっちに来い。食われてしまうぞ。」
「ばかを言うでない。客人が本気にするじゃろう。それでなくても、わしは警戒されておるようじゃ。のうシロクンヌ。」
「あ、ああ、そんなことはないが・・・ とにかく一ヶ月間、よろしく頼むな。おれも努力はするが、こればっかりは授かりものだ。」
「努力とは?何の努力じゃ?」
「そりゃあ、せっかくなんだから、宿したいだろう。何度もいたそうではないか。」
「何が痛そうだって言ってるんだ。シロクンヌはさっきから変だぞ。」
「ヤッホの言う通りじゃ。飲みが足りんのじゃろう。ほれ注いでやる。グイっといけい!」
「ああ、すまん。」

シロクンヌは何かが変だと気付き始めた。そこにハギが疑問を口にする。
「そう言えばさっき旗塔のところでシロクンヌが言っていたけど、ヌリホツマの不思議な力であの旗塔は立ったのか?立ち上げの時に、うたいをやっただろう。」
「ああ、それでシロクンヌはわしを警戒しておったのじゃな。」
「いや、警戒と言う訳ではないが、どれほどのナカイマの持ち主かとな。」
「ナカイマ?そりゃあ何じゃ?」
「まあ、不思議な力のことだと思ってくれ。ヌリホツマのうたいが、みんなに力を与えたのだろう?」
「なるほど、おぬしもそのナカイマとやらを持ち合わせておるようじゃな。じゃがシロクンヌ、見えておらぬのう。みなに力を与えたのは、わしではない。磐座(いわくら)と送り杉じゃ。あの場所であるから、旗塔は村人だけで立ち上げられた。磐座と送り杉が力を貸したからじゃ。この広場で立ち上げよと言われても無理な話じゃな。わしのうたいは、人に力を与えるものではない。そんなことはわしには出来ぬ。わしはあの場の御魂(みたま)に呼び掛けただけじゃ。」

なるほど言われてみればもっともだ。ヌリホツマのナカイマは、大地の御魂との対話に発揮されたのだ。岩や樹木の声を聞く力に優れ、言の葉(ことのは)を使い、磐座と送り杉に働きかけたのだろう。祈りと祓いをやるのも納得がいく。ナカイマについては、おれはまだまだ知らないことが多すぎる。
シロクンヌがそんなことを思っていると、アコが若い娘と二人でやって来た。
「ハニサはそこにゴザを敷きなよ。あたしは大ゴザに入れてもらう。ヤッホ、詰めな。」
そう言うとアコは、狐の毛皮製超ミニタイトスカートで、ずけずけ大ゴザに上がって行く。膝掛けなども持っていないようだが、あれで座るのか?何度も言うが、縄文人に下着着用の習慣は無い。
その場にいる男全員が、アコに注目している。いや、クズハまでが注目していた。
一方当人たるアコは周囲の目など気にする様子もなく、ヤッホの隣まで行くと、いとも簡単にストンと真下に落ちるように座ったのだった。一瞬でヨガのシューレースのポーズに似た足の組み方をして、姿勢よく座っている。ふう、という小さな吐息が方々で漏れた。吐息に込められた思いは人それぞれだろうが、結論を言えば見えなかったし今も見えていない。関節が異様に柔らかいのだろう。
そしていよいよ男嫌いと言われるハニサがシロクンヌと対面することとなる。

「ハニサ、ここへ来て座りなさい。」
クズハが少し横にずれて、シロクンヌとの間にハニサが座る場をこしらえた。みんな、固唾を飲んで成り行きを見守っている。ハニサは言われるがままに、シロクンヌのとなりに座った。袖が触れ合う近さだ。
「ハニサ、シロクンヌにお願いすることがあるでしょう。」
シロクンヌはハニサを見た。なるほど、村一番の器量良しと言うだけはある。ただ、まったく着飾ってはいなかった。大麻製の貫頭衣は染められてはおらず、一切の装飾品も身に付けてはいない。帯も麻ひもだし、髪もざっくり麻ひもで後ろ結びになっているだけだ。但し麻ひもと言っても、黄金に近い色つやをした精麻(せいま)である。脱いでそろえられた草履はと見ると、おそらくクズハの手になるのだろう、これも麻製の足半だ。足半(あしなか)とは、かかと部分の無い、爪先部分だけの草履を言う。それでいてハニサの姿は凛としていて、貧相な感じは全くしない。そして手の爪が、極めて短く擦り削られていた。
この娘だったのだ。
シロクンヌは、器を手に取り、目の前の娘と見比べた。
「これは、お前が作ったのか?」
娘の目に、自信がみなぎる。
「そうだよ。」
美しい娘だ。改めてシロクンヌはそう思った。おれは完全に思い違いをしていた。娘からナカイマは感じないが、普通の娘ともどこか違う。美しい顔立ちが、そう感じさせるのか・・・


一旦、登場人物紹介
 
シロクンヌ(28)タビンド クズハ(39)ハギとハニサの母親 ハギ(24)クズハの息子 ムマヂカリ(26)大男 クマジイ(63)長老 アコ(20)男勝り タマ(35)料理長 ササヒコ(43)ウルシ村のリーダー コノカミとも呼ばれる ヤッホ(22)ササヒコの息子 お調子者 ヌリホツマ(55)巫女 ハニサ(17)クズハの娘 ホムラ(犬)ムマヂカリの相棒


器の制作者は、ハニサであった。ムマヂカリやハギが騒いでいたのは、男嫌いのハニサを宿にするとササヒコが言い出したからだった。とんでもない話だと思ったのだ。
ハニサはもともと優しい気性であるし、親切に何でもこなすのだ。男からの頼まれ事で器を作るのもよくある事だ。しかしそれは、男が直接ハニサに頼むのではない。ハニサが男との会話を嫌うからだ。だから手近な女にハニサへの伝達を頼むことになる。ハニサも男からの依頼だからと言って断ったりはしない。おそらく物理的な接近が嫌なのだろう。だからハギ以外の男とはほとんど口を聞かず、たまにクマジイと会話する程度だった。そのハニサが今、クズハに命じられてシロクンヌのすぐそばにいる。
シロクンヌが気を悪くするような態度を取らねばいいが・・・ハギやクマジイ、ムマヂカリは祈る気持ちであった。だがヤッホはと言えば、また別の思惑があるようだ。

そんな周囲が見守る中、ハニサが口を開いた。
「シロクンヌ、み月、あたしと暮らしてくれる?」
この意外過ぎる発言に場が騒然となった。一番驚いたのはハギだ。「うそだろうそだろ」と連呼している。クマジイはのけ反り、ムマヂカリは口をあんぐり開けてなにやらつぶやいていた。ササヒコは、飛び上がって喜んでいる。
あとはハニサに片思いしていたのだろう、ヤッホの嘆き声がやかましく、右眼のせいだとか訳の分からないことを口走っている。挙句の果てに、
「静かにしな。」 アコにこづかれた。「黙って見てようぜ。」

「ひと月では、だめなのか?」
「み月一緒に居てほしい。それで宿らなかったら諦めるから。」
「ハニサ、おれはタビンドだ。おれが村から旅立てば、二度とここには来んのだぞ?」
「うん・・・」
「長くてひと月、その心づもりでこの村に来たのだが、ハニサがそう言うなら三月留まろう。だがハニサ、三月後には、何があっても旅立つからな。」
「うん、ありがとう!」
そう言うと、ハニサがシロクンヌに抱きついた。
これには大ゴザを飛び越えて、成り行きを見守っていた村中が大騒ぎになった。どよめきが起こり、全員が大ゴザに駆け寄って来る。子供達までが飛び跳ねて踊り出した。
「そりゃ目出度い目出度い♪」
見るとクマジイが目出度い踊りを踊っている。
「目出度い目出度い♪」
アコもクマジイの横で踊り出した。子供達が合わせて踊り出す。
「目出度い目出度い♪」「目出度い目出度い♪」
それにつられて村中が踊り始める。
満月の広場で、一人嘆くヤッホを尻目に、目出度い踊りの輪ができた。

「皆の衆!見ての通りだ。」
ササヒコの声は良く通る。踊りをやめて、みんなが耳を傾けた。
「ハニサは村の宝だ。こんな器、よそには無い。ハニサの他に、作れる者などおらん。ハニサの血は、絶やしてはならん。ところが知っての通り、ハニサは男を寄せ付けなんだ。それが見たであろう、シロクンヌには、なんと抱きつきおった。シロクンヌは間違いない、一廉の人物だ。そのシロクンヌが、三月、ハニサと共に過ごすと約束してくれた。
今夜は目出度い。満月料理も用意してある。ムマヂカリの鹿も食べ頃だ。たった今から満月の宴をシロクンヌ歓迎の宴に切り替える。栗実酒とヒョウタン仕込みの女酒を振舞うぞ。大いに飲んで、たらふく食ってくれ!」
大歓声が沸き起こった。

大ゴザは興奮冷めやらぬ様子だ。他の村人達も、大ゴザを囲むようにゴザを敷いた。ハニサはシロクンヌに寄り添って座っている。目出度い出来事だが、どういう顛末でこうなったのか、そこは気になるところだ。そこでまずクマジイが口火を切った。
「またどういう風の吹き回しじゃ。シロクンヌはハニサに何かしたんかい?」
「なにもしていないさ。今初めて口を聞いたんだ。」
「それにハニサがこんな男の輪の中にいるなんてな。」
ムマヂカリの驚きも相当だ。
「そうだよ、これがハニサかって思うよな。ハニサはいつからシロクンヌが好きだったんだ?」
ハギは嬉しそうだ。やはり兄として心配だったのだろう。そしてハニサはこの時を境に、男の傍も嫌がらず、会話も普通にするようになった。男嫌いではなくなったのだ。
「あたし、見た時から好きだったよ。村に入って来るのを見た時から。」
「ほう、あの異様な風体をかい。わしなぞは、腰を抜かしかけたがのう。」
「クマジイはそう見えたんだ。あたしは御山からの遣いに見えた。シロクンヌが現れた時ね、コタチ山が輝いたんだよ。」
「コタチ山?」
「うん。御山の峰々の中の最高峰なの。でも一番高い頂きなのに、コタチ山ってなんだか変な呼び名だよね。」
「これは、天が定めた出会いなのじゃ。わしには分かっておった。」
ヌリホツマがそう言った時、タマが料理を運んで来た。
「満月料理だよ。みんなは串焼きだ。大ザルから1本ずつ取っとくれな。シロクンヌとハニサは特別だ。クズハに頼まれていたからね。ほら、熱いから気をつけなよ。」
シロクンヌは竹皮包みを受け取った。
竹皮包み焼き。それは、焼きたい物を竹皮で包んで紐で縛り、灰溜まりの熱い灰で焼く料理だ。いろり屋には大きな灰溜まりがあり、その灰の中にうずめて焼く。竹皮は貴重なため竹皮包み焼きは滅多にやらないが、灰焼き自体は日常的に行われていた。<この物語では真竹が存在していたことになっています。縄文時代に真竹が生息していたかについては、別稿にてお話ししたいと思っています。>
シロクンヌが包みを開くと、中身は2尾の子持ち鮎だった。湯気と共に香りが広がる。焦げ目は無いが、ホクホクだ。満月の夜に子孫繁栄を願い、子宝にまつわる何かを食べるのが満月料理だが、ここではそのまま二人の祝い膳となっていた。
「ほれ、この日のためにこしらえておった物じゃ。」
ヌリホツマが二膳一対の箸を差し出した。みごとな赤漆と黒漆だ。
「そうか、この酒器は・・・」
「わしが漆掛けした物じゃよ。手火の炎がはっきりと映っておろう。」
「ヒョウタンを切って磨いたのは、このわしじゃ。」
クマジイも負けていない。
「シロクンヌ、トツギではないが、ここはひとつハニサのために、あーんしてを」
ササヒコがそこまで言うと、シロクンヌがうなずいた。
「ハニサ、おれに一口食わせてくれ。」
「うん!はい、あーんして。」
ホクホクの身を箸で取って、ハニサがシロクンヌの口に運ぶ。
「うまい!ハニサ、この鮎は旨いぞ。エラ突きだ。身が崩れていない。」
「おれが突いたんだよ。」
「やっぱりハギか。うお突き自慢だけのことはある。よしハニサ、次はおれが食わせてやる。あーんして。」
「あーん。」
「こんな日が来るなんてな。」
ハギが感激のあまり泣き出した。
「信じられないよ。」
隣のヤッホは悔し泣きだ。
「おいしい!シロクンヌ、美味しいね!」
周囲で祝福の拍手が起きる。子供達も飛び跳ねて手を叩いている。クズハも涙ぐんでいた。

「で、ヌリホツマ、さっき分かっておったって言ったのは?」
ホムラに焼き鮎を食べさせながら、ムマヂカリが聞いた。
「十日ほど前から予感があったのじゃ。今度の満月の夕刻、ハニサが惚れる男が現れると。日に日に予感は強くなった。じゃがハニサが惚れるとしても、どんな男かは分からん。悪人ならば、ハニサに会わすことはできん。」
「それで私が偵察に行っていたの。」
「なんだって!クズハが川にいたのは、あれは偵察だったのか。」


「ごめんなさいシロクンヌ。ちょっと試していたの。だって誰が来るか分からなかったでしょう。」
「試すって、母さんは何かをしたのか?」
「川に入ってムシロを洗っていたのよ。下巻き(巻きスカート)を脱いで。」
「スッポンポンかい!」
「もう、クマジイ、下だけよ。それで襲って来るような男なら、ハニサには会わせられないもの。」
「それをスッポンポンと言うんじゃ。ほいじゃが、襲われたらどうするつもりじゃった。」
「その時はその時よ。」
「クズハもやるな。」
言ったのは、もちろんアコだ。
「でもね、シロクンヌは一度も私をいやらしい眼で見て来なかったの。ただただ親切なだけ。私が大変な思いをしてると思ったのか、とっても親切なの。私の方がキュンとなったわ。ハニサ、あなた幸せよ。」
「コノカミは知っておったんだな?それでおれとホムラに様子を見に行かせたんだろう。夕暮れ近くにムシロを洗うなど、変だと思っておったわ。」
「そういう時こそ、大男ムマヂカリの出番だろう。いや、わしはクズハを止めたのだぞ。だがクズハがやると言って譲らんからな。しかし来たのがシロクンヌでよかったわい。」
「シロクンヌとしては、普通に振舞った、ただそれだけなのじゃろうて。のうシロクンヌ。」
ヌリホツマはそこで一旦言葉を区切ると、
「それで、わしと何をいたすのじゃ?お、困った顔になりおってからに、わははは、いい男じゃのう。ハニサを頼むぞえ。」
「クズハも立派じゃないか。娘のためとは言え、あられもない姿になるなんてさ。こら男衆、想像するんじゃないよ。あはははは。」
タマは豪快に笑うと、
「さあ、鹿肉やるよ。みんな、いろり屋の近くに移動しておくれ。」

シロクンヌはこのウルシ村で三ヶ月を過ごすこととなった。宿はハニサだ。
天が定めた出会い。ヌリホツマはそう言った。だがその意味は、まだ誰にも分かっていない。
シロクンヌにも、ハニサにも、そして言った当人のヌリホツマでさえも。
「シロクンヌ、一緒に行こう。」
月光に浮かぶのハニサの笑顔に、シロクンヌは思わず引き込まれるのだった。

               第5話 了。

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