縄文旋風 第4話 ヌリホツマ
「シロクンヌ、その袋に縛ってあるの、それはヤスか?」
シロクンヌの大きな背負い袋からは留め紐がいくつも出ていて、いろいろな物が袋の外側に固定されていた。何かの草の束、小振りな石斧、束ねられた縄などだが、長い革の鞘(さや)の付いた棒もあった。
「ハギは魚突き自慢なのよ。」
クマジイに栗実酒を注ぎながらクズハが言った。乾杯の後の談笑中の出来事だ。
「そうか、あの川、たくさん魚がいたが・・・」
「飛び石の川の川筋にはカワウソがいない。おれが狩ったり追っ払ったりしてるからね。」
シロクンヌはサヤ付きのまま、ヤスをハギに手渡した。ハギはサヤを外し、シロクンヌに驚きの目を向けた。そして突起に指を当てて調べている。
「見せてくれ。」
ササヒコが次にヤスを手に取り、ムマヂカリと突起の状態を確認した。クマジイとヤッホは無関心だ。二人で何やら話し込み、あははと笑っている。
「どうかしたの?」
クズハが不安げに訊ねた。ヤスを調べた男たちの眼が真剣だったからだ。
「これは、うお突きに使うのか?」
「もちろんだ。人は突かんぞ。」
「それは分かっておる。よく折れなかったなと言っておるのだ。鹿の前足だろう。」
ササヒコの言う前足とは、前足の骨、鹿の中手骨を指している。
「随分長いサヤが付いておると思えば・・・ 大体、こんなに長くて細い穂先がいるのか?」
ムマヂカリも興奮気味だ。岩のすき間に逃げ込んだ魚を突くのだから、魚を突いた勢いで、岩や砂地も突いてしまうのが普通なのだ。その時、これでは折れてしまう。
「ああ、いるさ。2~3匹、同時に行くだろう? 太ければ、身がくずれてしまう。」
一瞬、場が静まった。
「凄い男が現れたもんだ。シロクンヌ、是非とも長逗留してくれ。いやこの際、住み着いてくれ。」
「コノカミ、そうはいかんよ。おれにも都合がある。」
「なんの話をしておるんじゃ。」
「へー、ヤスか。かっこいいヤスだな。」
「それなら宿を取ってくれ。ひと月くらいならいいだろう?」
「今までも、宿は取って来たんでしょう。シロクンヌなら、絶対に宿を請われたはずだもの。」
クマジイとヤッホはすでに話に置いて行かれたようだ。眼中に入れてもらえない。ササヒコとクズハはシロクンヌに宿を勧めたいらしいが、ちょうどそこにアコが来て、会話は一旦途切れることになった。
「今、鍋が三つ来るからさ、真ん中空けて。」
いよいよ料理の到着だ。アコが大ゴザの中央に鍋敷きを広げる。狐の毛皮製超ミニタイトスカートによる微妙な作業に男達の視線は釘付けだ。シロクンヌが視線を外し横を見ると、皮手袋に皮の前掛けをした女達が、鍋を抱えて向かって来ていた。
※ここで宿について説明しておきましょう。
縄文時代の婚姻(懐妊)ケースはどんなものだったのでしょうか。
5千年前なら一夫一婦制だろうと言う人もいれば、外婚制だったはずだと言い張る人もいます。
外婚制とは、自分の帰属する集団の外から結婚相手を求める制度で、出自集団同士の結びつきを図り、ネットワークの拡大を目指すやり方です。集団重視な訳ですから、個人の自由恋愛による結婚は認められないと言います。
しかし自由恋愛も許さない社会が、1万年の平和を築くことなどできるのでしょうか。人はそんな反自然的制約の中で、抑圧されたまま生き続けることを良しとするものでしょうか。そもそも結婚によらなければ集団同士が友好関係を結べないなどは、大陸の発想であるように私には思えます。集団同士が戦闘を繰り返した、大陸の事情の反映であるように思います。この時の日本列島は、大陸とは別の道を歩んでいたはずです。縄文社会を大陸目線で語ろうとする考古学者の考察には、いつも大いなる疑問を感じてしまいます。
説はいろいろあるけれど、どれも推測に過ぎない訳で、本当のところどうだったかは誰にも分かりません。とにかくそこで性の営みがあったからこそ今ここに我々がいます。
そこでこの物語りでは、合意の上での懐妊にも様々なケースがあったのだろうとして、一夫一婦の結婚をトツギと表現することにしました。
他のケースもあり、その一つが宿。外部の血を入れたい村の場合や、これはと見込んだ男の血筋が欲しい場合などに行われるのですが、これは婚姻と言うよりも、子種の受け渡し感覚に近いでしょう。今のご時世、こう言うと語弊もあるでしょうが、5千年前の人情を私は言っています。「請われて子種を差し出すのは人助け。」そういう感覚を持ち合わせていた時代は確かに存在していました。
ここで重要なポイントとなるのは、男性が女性を選ぶのではないということです。村側、女性側が男性に依頼するのですが、通常は村が女性を指定します。村に滞在中は、一つムロヤでその女性と共に過ごすのです。そして産まれた子の親権は、父方にはありません。そもそも父はすでにそこにはいないでしょう。そして産まれた子は、何ら差別を受けることなく、村の中で大切に育てられることになります。これは5千年前のお話なのです。
・・・そして、クズハが問いかけたように、シロクンヌはこれまでに幾度か宿を取って来ていました。宿を請われた場合、断らなかったと言ってもいいでしょう。人助けの感覚なのです。請う方にも、差し迫った事情があったりする訳ですから。ただし、そこで女性が宿したかどうかは不明であります。
そんな説明をしているうちに、大ゴザの中央には湯気を立てた鍋が並べられた。鍋とはもちろん縄文土器であるが、これからは器(うつわ)と表記する。
そしてここで、シロクンヌはこの村へ来て一番の衝撃を受けた。今までの人生で見て来たどんな器も及びもつかないほど、今、目の前にある器が素晴らしかったのだ。
⦅今座っているこの大ゴザや、手の中にある漆塗りの酒器、これらは素晴らしい出来栄えだ。なかなか他所で見ることのできない物だ。しかしヒトの業の冴えの範疇だと思う。ところがこの器は違う。
神の仕業だ。
なるほどこの器で炊いた物を食べていれば、あの塔も立ち上げられるのかもしれない。そうか、ヌリホツマ。作り手は、ヌリホツマで間違いない。これは、相当の手練れだろう。今女衆が何人か料理を運んでここに来た。みんなチラチラこちらを見ていたが、少なくともその中にヌリホツマはいなかった。男なのか女なのかは知らないが、紹介されなくても気づくはずだ。ナカイマが服を着て歩いている、それがヌリホツマだ。
ただナカイマと言っても顕(あらわ)れ方は様々だ。そこはおれにも分かっていないことの方が多い。ヒトとカミのハザマ、ヒトの心がそのハザマで遊ぶ時、ナカイマの顕れとなる。そう言う者もいれば、そうではないと言う者もいる・・・⦆
「シロクンヌ?」
石のように固まったシロクンヌを心配して、クズハが声を掛けた。
「これらの作り手が、この村にいるのか?」
「どれもいい器だろう。あたしはタマ(35歳)って言うんだ。外から来た人はね、みんな驚くんだよ。もちろん、作ったのは村の人間さね。よそってやるから、汁を飲んでごらんな。疲れが吹っ飛ぶよ。」
「いろり屋を仕切るタマだ。」
ササヒコも心配そうだ。シロクンヌに無理な申し出をしてしまったのかと気に病んでいる。
「タビンドのシロクンヌだ。ひと月ほど厄介になる。よろしく頼む。」
シロクンヌは宿の件を受ける気でいた。
⦅相手は誰かまだ知らされていないが、クズハではあるまい。子を産みたいとは思っていないはずだからだ。クズハに宿を勧められたことに、さびしさと言うより意外さを感じたのは事実だが、おれは今までに、旅先で女に惚れたことはなかった。旅先だけでなく、人生でと言っていい。クズハに対してもそれは同じだ。宿にしてきた女性に対しても、いとしい気持ちの芽生えはあったがそこまでだ。別れがつらいと思ったことはなかった。そんな立場に、おれはいない。
今のおれの言葉を聞いて、ササヒコとクズハが目を合わせたのが分かった。
だが、そんなことより問題はヌリホツマだ。これほどとは思わなかった。おそらく、とんでもない人物だ。もちろん悪人ではあるまいが、今は宿の件よりもそっちが気になる。善人であることを見極めておきたい。何かの拍子に、向こう側に付かれたら大変なことになる。⦆
「熱いから気をつけておくれよ。」
「すまんな。うまそうだ。」
シロクンヌは、汁をすすった。
「旨い!これはうまいな。何の汁なんだ。」
待ってましたとばかりに、タマが説明を始める。
「まず出汁は炙りイワナの骨摺りだ。それと焼きマッタケの引き結びからもいい出汁が出てるだろうね。きのこは他にアシバヤ茸とユウヒ茸。他の具は、栃くずしと葛八方、ムササビは骨しゃぶり、鮎尻の一夜干し、そんなとこだね・・・ あ、大事なのを言い忘れていたよ。鴨の左眼。もし椀にこれが入ってりゃ、大当たりさね。」
「やったー!当たったー!」
ヤッホが大声を上げ、立ち上がって踊りだした。
「あーたったー!あーたったー!」
「見せてごらんな・・・ そりゃ右眼じゃないか!右眼は大ハズレだよ!」
ヤッホは立ちすくみ、みんなは笑い転げている。不思議村は、どこまで行っても不思議村だ。
シロクンヌはタマにも好感を持った。コロッとした感じが名前負けしていない。
「旨かった!たった一杯よばれただけなのに、本当に疲れが吹っ飛んだ。これは凄い器だな。相当な手練れだろう。これを作ったのは。」
「呼んできてやろうか。」
タマが気軽に言う。
「ああ、会って見たい。」
「待ってなよ。ゴザを持ってここに来るよう伝えるよ。」
タマがヒョコヒョコ歩いて行く。いよいよヌリホツマとの対面だ。
「コノカミ、話の途中だったな。宿で世話になるよ。相手はクズハか?」
「もう!シロクンヌったら!」
「ハハハ、クズハもまんざらではなさそうだな。ところがそうではないのだ。ほら今話に出ておったろう。その器の作り主だ。もうすぐここに来る。」
「なんだと!」
シロクンヌは愕然としたが、周りの反応はもっと凄かった。
「父さん、そりゃないよ!」
「無理じゃろう、無茶もほどほどにせい。」
「コノカミ、シロクンヌが知らんからといって、この話、ハナから無理だぞ。」
「母さんまで何だよ!なに考えてるんだ!」
侃々諤々(かんかんがくがく)たる騒乱ぶりだ。
一体ヌリホツマとはどんな人物なのか?そう思っていると後ろで声がした。
「お邪魔するぞえ。ゴザはここでよいな。」
「シロクンヌ、ヌリホツマよ。」
クズハの声は明るい。
ガンッと一発殴られたような衝撃だった。
⦅間違いない。この村にこれを超えるナカイマの使い手など居ようはずもない。しかしこの女、歳はいくつだ?子を産もうと言うのか?無理だろう。クズハまで・・・なんのつもりだ。ハギの言う通りだ。いや待て、使い手なのだ。使い手であることを忘れてはならん。子くらい産み落とすかもしれんではないか。ということは、毎晩、いたせと?おれはさっき、宿で世話になると言わなかったか。男に二言は無いとして、いざいたそうとした時に、いたせるのか?反応する自信があるか?いや待て、使い手なのだ。その場になったら妖しいうたいをあげられ、何かの術で反応させられるのかもしれん。その挙句に徹底的に絞り取られる、その可能性はないか?こうなったら、⦆
「ならぬぞえ。」
ヌリホツマの、低い声が響き渡った。
⦅今、おれに言ったのか?心の中まで見透かされてしまったのか?⦆
シロクンヌは、再び石のように固まっていた。
第4話 了。
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