縄文ランプ
クロマニヨン人と呼ばれるホモサピエンスは、ラスコーやアルタミラの洞窟で壁画を残しました。その洞窟内では、石を削って作った燈明皿がいくつも見つかっているそうです。そのランプの明りを頼りに、彼らは絵を描いたのでしょう。
同じホモサピエンスである縄文人は、ランプを作らなかったのでしょうか?
縄文遺跡からは日常使いの燈明皿と思しき物は出土していません。したがって、縄文人はランプを使用していなかったと考えられています。でも私は、縄文時代にランプは存在していたと思っています。
釣手土器の中には、内部で油脂分を燃やした痕跡が残る物も多いのですが、釣手土器自体の出土数が少ないですし、普段使いではなく祭祀の道具の様な気がします。出る地域も限られていますしね。
ここで言うランプとは、日常生活で使う燈明皿のようなものを指します。
土器の燈明皿がもしあったのなら、相当数が出土しているはずです。ところが出ていない。ですからもしランプがあったのなら、残らない物、もしくは残っても用途不明な物、そういう物質でランプの容器はできていたはずです。ではその物質とは何か?
ズバリ、粘土です。焼かれていない粘土です。ナマの粘土ですね。
私は、食用サラダ油を使って実験しています。粘土は市販の陶芸用。芯はティッシュペーパー。
粘土で小皿やぐい呑みの形を作ります。なんとそれで完成。乾かす必要すらありません。すぐに油を注ぎ、油を沁み込ませた軸を挿し、火を点ければランプとして使えます。
粘土は崩れませんし、油もにごりません。水を注ぐと粘土は崩れますが、油では崩れないのです。粘土は、油には溶け出さないと言うわけです。
これは乾いたナマ粘土に対しても言えること。乾いたナマ粘土の小皿やぐい呑みに油を溜めて、一週間放置しても粘土は崩れませんし、油もにごりません。芯を挿して火を点ければ、それでランプとして使えます。こんな非常に簡単な方法で、ランプは出来てしまうのです。
これは、現代のアウトドアでも使えそうでしょう?
ただし、芯に接した部分は、ススで真っ黒に汚れますよ。
油はにごりませんが、ナマ粘土に浸みて行きます。でもそれは焼いた土器に対しても同じ事。自作の土器のぐい呑みに油を入れ、一週間放置すると、外から見てハッキリ色が変わるほど油が浸みました。
土器は水も浸みます。(漏れるという意味ではありません。)
現代人がよく目にするやきものは、釉薬使用の陶器や磁器でしょう。これは水を弾きます。それに高温焼成のやきものは、焼き締っていますから、無釉であっても水は浸みません。対して低温焼成の土器は水が浸み、その水が器の外側から蒸発します。その時に気化熱が生じ、器の中の水は冷やされます。ですから土器に溜めた水は冷たくなり、腐りにくいと言われています。
浸みるのは毛細管現象ですので、漏れ出すことはありません。毛細管現象で浸みた液体が液体の状態で外に漏れだしたら、永久機関が出来ることになってしまいます。
縄文人は粘土で様々な物を作り、その中の一部を焼いたのではないでしょうか。焼かれなかった粘土製品が、彼らの身の回りにはわんさかあったのかもしれません。そう考えなければ、出土した土器や土偶の制作技術の高さが説明つかないと思います。いったいどこであれだけの腕を磨いたと言うのか?
土偶など、凄い技術を要する出来の物が、ポツンと出て来たりするのです。99個作れば、100個目からはこれくらいのレベルの物が作れそうだねと、そんな風に見える土偶の99個目までが、ほとんで出て来ていないのです。これは、焼かれなかった粘土で腕を上げたとしか思えません。
焼く基準の一つが、水と接するということ。水を溜める物は焼いた。しかし油と接する物は焼かなかった。なぜなら、焼く必要がまったく無いからです。
乾いてカチカチになった粘土は、そこそこの強度がありますよ。それに、泥団子を思い浮かべてもらえば分かるように、着色も磨きもできます。
テカテカに光るのは、焼かれていないナマの粘土の方なのです。そのナマ粘土で出来た、いろんな物があったのかも知れないでしょう。焼かないのであれば、砂を混ぜる必要はありませんから、スベスベの物が出来たでしょうね。
ここで少し土偶の話をします。
土偶とは、土で出来た偶像です。そして最終的には、わざと割ったとしか思えない壊れ方をしたものです。わざと割って、破片をあちこちに埋めた。そこには、永久に残そうとした意図は見受けられません。では、なぜ焼いたのでしょうか?
例えば祭祀に使ったとしても、それは据え置いて使ったのでしょう。だったらナマ粘土であっても、まったく問題は無い。
この点を誰も口にしないのは、私には大いなる謎です。出て来た物しか見ないから、そうなるのでしょう。出て来るのは焼かれたものだけですから、土偶はすべて焼かれたものだ、となるのです。
1万年に亘る縄文時代。しかし出土した土偶の数は、全国でたったの2万個。これは、焼かれた土偶が少なかったと考えるべきではないでしょうか。仮面の女神の制作者は、あれ以降、土偶を作らなかったのでしょうか。あの高等テクニックを、封印してしまったのでしょうか。もしかすると縄文社会には、ナマ粘土による土偶が、ゴロゴロしていたのかもしれませんね。
しかしそれらは、いずれは崩れ去る運命にあります。遺跡をどれだけ探しても、分子レベルの何か、しか存在していません。元がどんな形だったのかなど、分かるはずもない。
話をランプに戻せば、ランプとして使えばススが付いて黒く汚れます。それに油も常時あった訳では無く、切らしている時の方が多かったかもしれません。油が切れたら燈明皿も捨ててしまって、油が手に入ったらチョチョイと作ったのかもしれませんね。
さて、粘土で簡単にランプができるのは分かりました。粘土は乾かす必要などなく、形作れば直ちに油を注ぎ、ランプとして使えます。そこで次の問題は、それが遺跡から出るかどうかです。
結論から言えば、アズキかダイズ、それ位の大きさの黒い土の粒が出る可能性があります。見た目は焦げた土器の破片、そんな感じの物です。
ランプとして灯をともしているうちに、芯のそばはススが付き真っ黒になります。油をつぎ足しながら10時間連続で点灯させた場合、焼成されたと思われる部分が、芯のそばのそれ位の大きさでした。
火を消して、熱湯をかけて(油を落とす意味で)、その後水に浸けておいたら、粘土のその他の部分はすべて崩れ去りました。しかしその黒い粒でさえ、完全に焼成されているかどうかは怪しいと思っています。
油によって固まっている可能性もある。年月を経て油が分解されれば、もろくなるかも知れない。とにかく、出たとしてもその程度だと思われます。その粒を見て、ランプを連想する考古学者は、おそらく一人もいなかったのではないでしょうか。