弱みを克服してきた人生はもったいない?
よく偉い人とか成功者が口をそろえていう言葉がある。
「弱みの克服に時間を割くのではなく、強みを伸ばすことに時間を割いたほうがいい」
わかる。
納得はする。
でもじゃあ果たして、弱みを克服するために割いた時間は無駄だったのか?
私はこの23年間のうち、少なくとも半分の10年間は、自分の弱みの克服のために時間を割いてきた。
・小学校~中学校:運動音痴の克服
体育や部活でやった苦手な種目は、家に帰ってから必死に練習
・高校:理数科目の克服
中高一貫校だったが、一応内部生も受ける高校受験で点数が悪すぎて、高校に入ってからは毎日学校の復習
・大学~今:思考力の克服
私はもともと感情型の人間だったが、就活を通して思考力がないことを痛感し、長期インターンしたり本読んだりと、思考力を鍛えてきた
確かにこうやって振り返ってみると、
地味~~な人生だと思う。
他の人よりうまくできてトップに表彰されるような「人生が輝いていた瞬間」って正直ほとんどない。
自分の好きなこととか得意なことに時間を割いて、
有名になっている人とかすごい成果を上げている人を見て、
うらやましいって思ったこともある。
でもじゃあ自分の人生に後悔があるか?と言われると、
そんなでもない。
弱みを克服してきたことで、得たもの
①コツコツ努力する忍耐力が身についたため、どんな困難でもあきらめない癖がついた
苦手を克服するのに膨大な時間がかかることはもう既に知っている。
だから困難にぶち当たっても、それを克服するために何度も何度もトライしてみる。その結果どこかで実を結ぶ日がやってくる。
②”できないところ”から”標準的にできる”ようになるまでのプロセスを知っているため、同じ境遇の人の気持ちがわかる
できない人の気持ちがわかるから、
一緒に寄り添ってあげられるし、わかりやすく教えてあげられる。
①は、努力してきた人なら誰でも得られるものだと思うが、
②は、強みを伸ばしてきた人よりこの能力に長けていると自負している。
弱みを克服するために割いた時間は無駄だったのか?
私は、そうは思わない。
↑で述べてきたことをもとに、私がたどり着いた答えを共有すると、
人は皆それぞれの役割があって、どちらも必要な存在だから。
得意を伸ばしてきた人
▶︎世の中を引っ張る、革新的なリーダーになる素質がある
弱みを克服してきた人
▶︎世の中を後ろから支える、悩む人を助ける擁護者になる素質がある
だから、
絶対に無駄じゃなかったと思う。
前に立って引っ張るのは得意じゃなくても、困っている人を支えて、その人を喜ばせられるのであれば、そんなうれしいことはない。
でも1つ覚悟しておかないとならないのは、
後ろから支える人(裏方?)はいつも目立ちにくいことである。
どうしても人から褒めてもらいたい時とか、
人から慰めてほしい時とかには、
なかなか私たちの功績が伝わらなくてもどかしさを感じる時があると思う。
でもそういう時は、自分で自分を褒める。
ちょっとむなしいけど、結局信じられるのって自分だけだと思うから、それだけでも心が癒されると思う。
そうやってがんばって続けていくうちに、
いつか自分の影のがんばりを見ててくれている人がいるから。
そういう人を大切にして、
今日も自分を認めてあげよう。