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能登とともに

能登半島地震から早くも1年が過ぎました。


「日本を世界一の防災大国に」能登半島地震の犠牲者追悼式で石破首相が誓い…500人以上の犠牲者に祈り (2025年1月1日)


「正月が怖い」能登被災者のいまの思い 復旧の遅れに憤りも…“家の再建が復興の始まり” 地震と豪雨の“二重被災”で葛藤続く 小川キャスター現地取材【news23】|TBS NEWS DIG

能登半島で元日に発生した地震。一見、少しずつ復旧・復興が進んでいるようにも見えますが、現場を取材すると「正月が怖い」と口にする人もいました。地震からまもなく1年。何が変わったのか、そして何が変わっていないのでしょうか。

ここで紹介したいのがコメ欄のこの意見
>国の力が弱いのは、こういう何も生み出してない片田舎に 地方交付税としてばら撒いてるからということも自覚して頂きたいですけどね 何か被害者面してますが、人生トータルではどう考えても支援を受けている側。得してる人

本当に日本人なのかと思ってしまいます。災害に会われて家族も家も失った方に言う言葉か!損も得もあるか!

次の動画に出てくる東日本大震災の被災者の方の言葉を聞いて下さい。

東日本大震災の被災地から能登半島地震の被災地へのエール (2025年1月1日)

あの日、津波の被害を受けた小中学校。
生徒600人は、一斉に高台へ逃げました。そのうちの一人が当時中学2年生だった川崎さんです。

川崎さん: 「同じようにみんな学校いる時に被災をして一生懸命高台に逃げてっていう共通体験じゃないですけどそういうのがあってみんなで頑張っていこうじゃないですけどしょうがないけど友達いるからいっかみたいな。

けど高校入ったらやっぱり津波の被害受けていないエリアの人たちとか同じ市内でも、震災に対する感覚の違いといいますか、近くに家族亡くしている子がいる反面被災者って言葉ずるいよねみたいな話もあったりとか
直接言われるわけではないんですけどそういうのも聞こえてきたりっていうのは。
悪気があったわけじゃないんだけどそういう風にポロっと言っちゃうかもしれないなっていうふうにおもいました。色々言葉には気をつけよっていう風にその時は思いましたね。

先ほどのコメントと同じです。被災された方に向かって「被災者って言葉ずるいよね」どういう感覚なのでしょうね。悪気がなければ何を言っても許されるのでしょうか?

下記動画の被災者の方にも同じことが言えるのですか?


生かされた命、「家族の分も」 つらい日々、懸命に前へ 妻子4人亡くした大間さん・能登地震1年


能登半島地震は来月1日で発生から1年を迎える。金沢市に住む石川県警の警察官大間圭介さん(42)は、地震で妻子4人を亡くした。時間の経過とともに喪失感が押し寄せ、つらさが増すこともあるが、「妻と子どもたちが犠牲になって自分が生かされた。自分一人ではなく、家族の人生も歩んでいる」と懸命に前を向こうとしている。【時事通信映像センター】


【能登地震】映像で見る能登半島地震1年 進む解体、広がる更地

能登半島地震の発生からまもなく1年を迎えます。震源に近い石川県輪島市や珠洲市では、火災で焼け焦げた商業地や伝統的な家屋が並ぶ地区の復旧が少しずつ進みます。一方、9月の記録的豪雨にも見舞われ「二重被災」した地域ではその歩みは鈍いです。各地を巡り、生々しい爪痕が残る様子を映像で記録しました。


特集 能登半島地震のいま


【詳報】発生から1年が近づく 能登半島地震の現状

2024年1月1日に発生した能登半島地震はまもなく1年となる。 能登半島地震で被災した石川県の155人を対象に共同通信が実施したアンケートで、復旧や復興が進んでいないと答えた人が63%だったことが15日、分かった。被災地の課題として、人口減少や住まいの整備、インフラ復旧を挙げる声が多い。地震発生からまもなく1年となるが、生活再建が遠い現状や、被災地への関心低下に対する懸念が浮き彫りになった。


【のとだより…あれから】あの時メッセージを下さった皆さんはいま…

苦しい状況の中で相手のことを思いやり、助け合う能登の人々。
今伝えたいこと、今抱えている思い…「のとだより」では、これまでに85人の能登への思いを伝えて来ました。
今回は「のとだより…あれから」としてこの1年でメッセージを下さった皆さんのその後を伺ってきました。
一度は辞めようかと思った「蓬莱」作り。こんな時だからこそ飾りたいという地元の皆さんの要望に応える輪島市の元市長の今の思いとは…。
地震でいなくなったペットのネコを心配していた男性。再び訪れると、傍らには行方不明だった愛猫が…。


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【地震の瞬間】家の壁が崩れ…激しく揺れる電線 立ちすくむ人も 能登半島地震 石川・穴水町の様子【ドラレコ映像】


【能登半島地震】視聴者が見た地震発生の現場 「新潟一番投稿BOX」に寄せられた映像より Japan earthquake


【津波、その時】住宅地に押し寄せる黒い波、津波を捉えた各地の映像 能登半島地震

本当に今みても凄まじい被害だったことが分かります。


石川 能登半島地震 新たに15人を災害関連死に認定 死者504人に


能登半島地震まもなく1年、住民が感じる課題「人口流出」「インフラの復旧」「宅地や住まいの整備」【Nスタ解説】|TBS NEWS DIG


能登「集団移転」の悩ましさ 道路が寸断され、豪雨に襲われても同じ地区に住む理由


能登復興に「コスト削減」を持ち出した財務省に被災地は憤慨 そこまで節約したいなら、万博が先では?

 能登半島地震から3カ月余り。断水の解消などの復旧が遅れる中、財務省は「維持管理コストを念頭に置き、集約的なまちづくりを」と提言を出した。「コスト削減ありき」がにじむこの姿勢。「過疎地の切り捨て」の危惧も。そんなにカネがないならやはり、万博絡みのインフラ整備などの巨額事業を見直し、復興に予算を割くべきじゃないのか。(宮畑譲、岸本拓也)


コスト云々の話ではなく、まともな”国家”なら住民の暮らしを守り再建するのが国としての役目ではないのか。
仮に都心部に集団で移住して空いた土地はどうするのか?
また移民でも入れて住んでもらうのか?そこは水源地があり、田畑があった場所じゃないのか?


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それでもあきらめずに地元で暮らしている方々がいらっしゃいます。
我々に出来る事、大きなことは出来ないにしても何かやれることはあります。それをこれからも忘れずに行動していこうと思っています。

"見捨てられた被災地”能登で生きる 震災から1年 復興進まず “集約化”の動きも

能登半島地震からまもなく1年。復興が進まず「見捨てられた被災地」とも言われる能登で生きる決断をした家族を追いました。



本当に美しい夕日の風景



能登で暮らすことを決意したあるご家族の絵


白米千枚田(しろよねせんまいだ)


この白米千枚田も被害にあいました。こちらも残していかなければならない
我が国の財産です

能登半島地震から1年 復興に向け新たな一歩に意欲…10万食の炊き出しメンバーらが元日にふるまい

稲垣真一アナウンサー: 「地震で隆起した海岸に冬の荒波が打ち付ける輪島市の白米千枚田。今年最初の朝日が、地震と豪雨で傷ついた棚田を優しく包み込んでいます。2025年、元旦。希望の夜明けです


【特集】「地震ぐらいに負けてられんやろ」“田の神様”宿る輪島の集落 伝統守る被災者の1年

奥能登一円で行われている「あえのこと神事」。地震による避難所暮らしの中でもこの伝統を守り、豪雨災害に見舞われても田の神様に感謝を続ける集落がありました。困難に合いながらも米を作り、神へ頭を下げる輪島市の住民に密着。その思いとは…

伝統を守り、米を作って下さる農家の方々に感謝いたします🙇



「それでも、能登を諦めない。《熱きリーダー編》」【地震から1年】

家屋の倒壊、地盤の隆起、津波、火災――。
多くの命が失われ、半島の風景を一変させた令和6年の能登半島地震から1年。 復興は思うように進まず、過疎化の波はますます深刻化し、世間の関心も次第に薄れつつある。
それでも、この地にとどまり、困難に立ち向かいながら新たな未来を築こうとする人々がいる。苦悩や葛藤を抱えながらも、彼らは「より豊かで美しい能登」を目指して前を向き続ける。
そして今、力強くこう語る。 「それでも、能登を諦めない。」


【能登地震1年】過疎化に危機感 故郷に戻る若い世代も 孤立集落の厳しい現状(2025年1月1日)

過疎化に危機感 故郷に戻る若い世代も  船津由香さん(38)は地震から3カ月後、ふるさとに帰りました。学校を卒業後、関西で働いていましたが、今は農業を勉強しながら、荒れた土地を花畑に変えようとしています。 七浦地区出身 船津由香さん 「ここいいな、ここ住んでみたいなって思う人がいてくれて、来た人に使ってもらえるような畑とか田んぼとかで残せていけたらな。(故郷は)なくなるしかないのかなとか思ったりもしますけど、そうなってほしくないので、とりあえずあがけるだけあがいて」


過疎の被災地を灯す600個の“夢ちょうちん” 地震に続き豪雨災害…それでも、能登の今を発信しつづける男性|TBS NEWS DIG

地震、そして、豪雨で能登の人口流出は加速しています。葛藤を抱えながらも能登に残り、「未来へ繋いでいきたい」と動き出した若い世代。その思いに迫ります。









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