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戦争から感じたもの

--ベトナム🇻🇳3日目--


 こんばんは。今日もお疲れ様です。
私は今ホーチミン・サイゴン駅からベトナム唯一の鉄道"統一鉄道"に乗り首都のハノイに向かってます。34時間かけて寝台列車に乗って移動中です笑
 暇で暇でしょうがなくネットフリックスに事前にダウンロードしておいたブロンドというマリリンモンローの生涯を描いた映画を見ました。英語の勉強と思って見ていましたが、壮絶たる彼女の生い立ちとストーリーに少し面喰らいました

 そんな話は置いておいて、本日は2日目に訪れたホーチミン市内にあるWar Remnants Museumについてお話ししようと思います。ベトナム戦争を後世に伝える歴史館です。値段は40,000ドン(日本円で243円)とかなり安くてびっくりしました。

 中に入ると、当時使われていたの同じ戦闘機、ヘリコプターやタンクカーが綺麗に並べられています。

当時使われていた戦闘機

 歴史館の中の広場に置かれている形ですね。歴史館の中に入っていきます。

 1階から3階まであり、3階から回っていくことをお勧めします。3階から戦争の始まりが描かれ1階に向かって収束に向かっていくという形だからです。  

 ベトナム戦争というワードは受験の際に覚えただけで、知っているのは北ベトナムと南ベトナムが国家統一の為に戦い、それは資本主義と社会主義・共産主義の代理戦争であったということだけでした。中に入り当時の写真と説明書き、数々の実弾や銃、モニュメントに目を通しました。当時の情景が鮮明に写真や記事として残されており、なかなか心にくるものがありました。若干二十歳の未熟者の私がそこで感じたものは、言葉では表現しづらいものでした。正直なことを申しますと、吐き気を催した事が何度かありました。それくらいベトナム戦争で起きていたことは壮絶で凄惨で残酷です。南ベトナム兵(アメリカ軍)が北ベトナム市民や南ベトナム市民で愛国心を抱く罪なき人々を拉致し子供もろとも銃殺や惨虐な方法で監禁や死刑執行をしている様子が鮮明に残されています。

罰の1つ。日が全く入らない部屋に入れられ、長い間水や食料を与えないもの。足を拘束されているため、身動きや寝返りもできない
残虐な刑執行

 また、アメリカ軍が用いた枯葉剤の影響を今もなお受け続け苦しんでいる方がいます。身体、精神障害として化学兵器の悪疫は残り続けるということを知りました。さらに、出兵していたアメリカ兵士でさえ帰国後悪夢に悩まされ、結果的に自殺を図った過去などもあります。戦争は、多くの物を得ますが、それより多くの物や命を失います。ありきたりな言葉ではありますが、残された記録を見て二度とこのようなことがあってはならないと思いました。心の底からそう感じました。

 戦争は、莫大なお金、名誉、土地、信念を築けるかもしれません。その一方で、戦争は多くの罪なき人々の命が代償として支払われます。動物や自然の淘汰もその一つです。枯葉剤や原爆での被害は自然を殺します。そこに残されるものは何もありません。命もです。

 この世にはたくさんの違いがあります。国籍、性別、宗教、肌の色、年齢、文化、人間性、、、。数え出したらキリがありません。各々の意見をぶつけ合い、争いをおこすのではなく、それぞれが持った人間性・違いを理解しようと努力し受け入れることが人間のかたちなのではないかと感じました。もちろん、受け入れられないことはあると思います。それを自分と違うから敵と捉えるか、それすらもその人の人間性として受けいられるかでは大きな差が生まれます。無駄な命の消費はやめましょう。私は笑うことが大好きです。ずっと笑っていたいなとここで感じました。


 私は、ベトナムを旅する前にここに訪れられて良かったと思います。旅する国の歴史を知り、今の状況をこれから沢山見てこようと思います。

 我が母国、日本も第二次世界大戦を経験し広島と長崎に多大なダメージを負いましたが、時代が時代ということもありここまで鮮明に記録は残されていません。私たちのような戦争を経験していない世代の方には、ベトナムに訪れた際には必ず寄ってほしいと感じます。読者の皆さんが感じたことを近い未来に聞いてみたいです。

 長い文章でしたが読んでいただきありがとうございます。明日は、旅1カ国目のフィリピンについて語ろうと思います。

戦争の終結を願い北ベトナムにエールを、南ベトナムにデモを起こす当時の日本国民

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