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[短編]園世#8 両生

ギンヤンマの羽田は、葉の上に止まって生まれ育った故郷を眺めていた。

まだ、妻の藻奈は帰ってきていない。

トンボはヤゴという幼虫時代を経て大人になる。

羽田は時折、あの日の悲劇を思い出すことがある。

平和な波風一つ立たない池の周りで、羽田は苦しそうに飛び回った。


ヤゴ時代の羽田は、歩いている時に大きな卵塊を見つけた。

羽田は初めて見るそれに、思わず吐き気を覚えるのだった。

同時に震えで何も出来なくなった。

羽田は友達があまりいない少年だった。

というのも、占い師である親の影響で

何か、この世の出来事は最初から決まっていると考え

手相占いやタロットカードなどの占い本を片っ端から読み漁っていた。

だから、この卵塊すらも

この世のものではない何かが自分に作用しているのだ、

天界が天涯孤独な自分にくれたものなのだ、と羽田は感じていた。

羽田は皆から「不思議ちゃん」と言われていた。

それでも、羽田は占い本こそがこの世の全てだと考えていた。

羽田は目の前にある卵塊を見上げた。

卵塊には沢山の目があって

それが、羽田を見ていた。

羽田は、何万匹のそれと目が合うと、恐ろしくなって仲間のいる方へと帰っていった。

しかし、自分に与えられた使命を怠ってしまうのではないか

などと、あの卵塊と自分の人生が繋がっているはずだとずっと考えていた。


次の日になると

あの卵塊まで通じる道は、全面封鎖になっていた。

この池のヤゴの世界の実権は

オニヤンマのヤゴたちが握っていた。

あのオニヤンマたちは卵塊を独り占めするに違いない。

羽田は拳を強く握り、あの卵塊のもとに行く方法を考えていた。

オニヤンマたちに見つかれば

ギンヤンマである羽田は処刑されかねない。

特に仲間もいない羽田は

追われれば、確実に仕留められるだろう。

卵塊へ行くには、多くのパトロールしているオニヤンマたちを乗り越えなければならない。

羽田は、普段全く見ない川全土の地図を広げ

どうにかすれば、あの卵塊にたどり着けるかを一人で議論していた。

「どうせ、こんなところにはパトロールは来ていないだろう」

なんて、希望的観測ばかりを交えながら。


行ってみると、パトロールが全くいなかったので

思わず、拍子抜けした。

オニヤンマ自身が自分に逆らうやつなどいないと、高を括っているのだろうか。

卵塊の前に来ると

卵塊からはまた不気味な雰囲気が漂っていた。

羽田は恐る恐る近づき、その卵塊から卵を一つ切り取った。

すると卵は身の危険を感じたのか

すぐに孵化した。

羽田は驚くとともに、失望を覚えていた。

この黒い卵が

あのオタマジャクシになるとは

夢にも思わなかったのである。

オタマジャクシは我らヤゴたちの主食で

よく食べているものだった。

ただ、生まれたばかりで羽田を親だと思っているのか

その子は近づいてきた。

「ありがとう」

その子がいうと、羽田はドキッとしてビクビクしながら

「着いておいで」

と言った。

その子の名前は藻奈と言った。

羽田はこの子がさっきまで名もない一つの黒玉であったことを、信じることは到底出来なかった。

「羽田さん?」

「どうしたの?」

「あなたはなぜ私だけを卵から切り離したの?」

羽田にとっては「それは僕の宝物だから」というのが答えになるのだが

照れてそんなことを言えるはずもなかった。

ただ、藻奈が生まれてからも

それは羽田の宝物であることには変わらなかった。

「今、外にはオニヤンマっていう怖い顔したやつらが、うようよしているんだよ」

「でも、あなたもトンボの子供でしょ。私を食べようとしているんじゃないの?」

「僕は君を守りたいんだ」

そういった時の藻奈は口元に大きな笑顔を浮かべて喜んでいた。

羽田はその笑顔が愛らしいと感じていた。

段々と、その卵塊の欠片は、羽田の本当の宝物になっていくのであった。


羽田は寮で複数のヤゴたちと暮らしていた。

その仲間たちにオタマジャクシがいることを言うと、猛反対された。

皆、あのオニヤンマたちを恐れているのだ。

あの血も涙もないオニヤンマのことだから

このことが明るみに出た場合、寮生全員が処刑されてしまうかもしれない。

羽田は押しつぶされそうな心情で毎日を過ごしていた。


ある夜のことだった。

オニヤンマのヤゴたちは寮の周りを取り囲んでいた。

寮生全員は手を上げて、全員外へ出た。

もちろん、羽田も藻奈も外に出た。

オニヤンマ一同と向かい合わせで

羽田ら、寮生たちは一列に並んだ。

オニヤンマのヤゴの一匹で、リーダー格である鬼城は口を開いた。

「俺がここに来たってことは、お前らが何をしたか分かっているよな」

その尖った爪は羽田と藻奈の方に向けられた。

我らギンヤンマは耐えきれなくなったのか

羽田の隣にいた先輩のヤゴが鬼城の前に出た。

「鬼城さま。どうか、今回ばかりはうちの後輩のせいでこんな風になってしまい、申し訳ございません」

土下座をしていた。羽田たちも一緒に頭を下げた。

「ザシュッ」

水の中に大きな音が響いた。

羽田が顔を上げると、先ほど、土下座をしていた先輩の首が吹き飛んでいた。

必死に腕を押さえている藻奈を振り払って、鬼城の前に出た。

「今のはあまりにおかしいと思いませんか」

羽田は正義感は人一倍あった。

鬼城は、羽田の下に近づき、高速のジャブを顔に食らわせた。

悲鳴が当たりに響き渡った。

目がチカチカとしてくる。

鬼城は怒鳴るように言った。

「オタマジャクシを生かしておくと、どうなるか知っているのか?」

羽田は首を振った。

「成長するとあのカエルになるんだぞ!俺らの天敵であるカエルにな!」

この瞬間、羽田は自分の罪を理解した。

自分の宝物である藻奈を失うというのも何か違う気がしていた。

「こいつを徹底的に懲らしめろ!」

一列に並んだギンヤンマたちの後ろには、オニヤンマの援軍が来ていて

寮生の首を、どんどん切っている。

藻奈はあまりの恐怖に羽田の元に来ようとした。

鬼城は、近づいてきた藻奈のもとに近づくと

勢いよく爪を突き立てて引っ掻こうとした。

その時だった!

大きなカエルが、鬼城の前に現れた。

鬼城は、あまりにも驚いてしまい

仲間を置いて、自分だけ撤収した。

オニヤンマの援軍もぞろぞろと帰っていく。

「お母さん・・・」

藻奈が呟く。

羽田はあの卵塊の主だろうと思った。


それからは、羽田は鬼城に言われた罪の自覚を持ちながら

大人になるまでを藻奈と、その母親カエルと共に過ごした。

ただ、以前のように藻奈と一緒にはしゃぐことはあまりなかった。

時折、首をはねられた仲間たちを思うと

無性に、仲間のもとに帰りたくなった。


そんなことを思って藻奈と暮らし始めてから2か月後くらいに

故郷へ帰ったことがある。

いつ襲われるか分からないので、母親カエルも同行した。

現場は悲惨だった。

オニヤンマとギンヤンマが共に争った残骸が至る所に散らばっていて、

もといた場所が焼け野原となっているのだった。

羽田は、そこに崩れ落ちた。

溜まっていた涙が溢れだした。

すると、羽田の背中に

一本の手が置かれた。

母親カエルであろうと思ったのだが

振り向くと、そこには藻奈がいた。

もう既に手が生えてきているんだと思った。

羽田はその小さな手を涙なしでみることは出来なかった。

羽田は優しくその手を握って、頷いた。

小さくて、柔らかく、暖かい手だった。

「羽田さん。もともと私のせいでもあるの。泣きたいのは私も一緒だわ」

藻奈は隣で一緒に涙を流してくれた。

「私、この川の未来を担うことにする」

羽田は、赤くなった目を藻奈に向けた。

「羽田さん、私たち、大人になったら結婚しましょう。そしたら、生まれる子供たちはトンボの子とカエルの子で、きっと共生できると思うの」

羽田はその差し伸べられた手を、握って立ち上がった。


今、現在、羽田と藻奈はこの川の近くの小屋で一緒に暮らしている。

トンボである羽田は川の中には入れないので、子育てや、川の平和を藻奈に任せている。

羽田と藻奈がトンボとカエルになったとき

この川は、例の戦争の件もあってか

シーンとした川だった。

ところが、今現在、たくさんのトンボたちが飛び交い

夜にはホタルまでいるという賑やかな川になった。

もう、あの頃の様子を語れるものは

今現在は、羽田と藻奈しかいない。

藻奈が帰って来た時

藻奈は羽田にもたれかかるように抱きしめた。

「やっぱり、あの時、藻奈と出会ってよかったと思うよ」

「占いは当たったんじゃない?」

いたずらそうに笑う藻奈を見て、羽田にとって藻奈は今も昔も宝物ってことに変わりなかった。

「今日、一緒に暮らしてから何年目だろうね」

「そうね、でもいつから一緒に暮らしたことにしようか?」

「藻奈が生まれた時でいいんじゃない?」

藻奈が大きな声で笑っている。羽田も釣られて笑うのだった。


両生 完

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