[エッセイ]一日一善について
こんなこと言うのも急かもしれないけど
「一日一善」って言葉が好きだ。
寝る前とかに
今日、こんなこと頑張ったよなって言って
寝れるから。
そんな「一日一善」を続けていると
どうやら、一日一善も楽じゃないってことに気づいてくる。
それでも、やることは一つしかないから
簡単に続けられる。
コロナ禍の時に
私はこの言葉を胸に過ごしていたと思う。
どこか、高望みはせずに
一日やれることをやって、
それが本当に楽しかった。
「一日一善」ってやってみると分かるけど
めっちゃ簡単
だけど「一日一善」を続けるのは
何気に難しい。
だけど、この「一善」が
将来の自分を助けると思ってやっていると楽しくなる。
大切なことを忘れてしまいそうな
私の小さな日常に
何か大切なものを呼び起こしてくれそうな気もする。
そして忘れてはいけないのが
「一日一善」をした自分を褒めること
正直、皆、あんまり褒めてはくれないと思うよ(笑)
特に、平日の皆様は。
だけど、暖かい布団の中に入って
自分を褒めていると分かるんだよ。
純粋に褒められると、明日も続けようってなるんだ。
努力っていうのは2種類あって
一つ目は「辛い・やめたい」
と思って続ける努力
二つ目は「楽しい・まだできる」
と思って続ける努力
君はどっちを選ぶ?
私は後者の方が、長続きもするし
結果として、前者よりも上に立っていると思うな。
前者の人は、瞬間風速は凄そうだけど
いったん足を止めてしまったら
なかなか、再開するのは時間がかかると思うな。
だから「一日一善」って言葉
大好きなんだよね。
「一日一善」をしてきた皆様へ
今日もよく頑張ったね
また明日も頑張ろうよ!