リメンバー【Face to Face】脱・正解主義
昨年10月の【Face to Face】メッセージは、「脱・正解主義」というタイトルでした。日本の教育と海外の教育の違いから、「脱・正解主義」について考えてみました。鳥取砂丘には人が登った足跡がいくつも存在しています。これからの時代は、この砂丘の頂上のどこへ登るかを自分自身で決め、そこへ向かって全力で登るという考え方が必要だと書いています。過去のメッセージも毎月公開していきます。
脱・正解主義
10月になり、少し気温が落ち着いてきて秋らしい雰囲気になってきました。「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざがあります。このことわざは、夏の暑さは秋の彼岸ごろまで、冬の寒さは春の彼岸ごろまでで、それを過ぎると過ごしやすくなるということを意味しています。「彼岸」とは、1年の内で2度、昼と夜との長さが同じになる春分と秋分を指しています。それぞれの日を境にして、昼夜の長さが逆転し、春分の日以降は暖かく、秋分の日以降は涼しく過ごしやすくなると言われています。秋分を過ぎたころから、最高気温が30度を切るようになってきたので、このことわざが意味していることは正しいのかなと思います。気温が下がり、日中、外で活動してもすごく汗をかくことが少なくなり、少しずつ秋から冬へ向かうようになってきています。しかしながら、地球温暖化の影響により、春や秋といった日本にとっては過ごしやすい時期も短くなってきているようにも感じます。昔から当たり前と思っていた季節の感じ方も、年々変化することが当たり前になっていくように思います。環境が変化していくことで、従来当たり前と思っていたことも、当たり前でなくなることを改めて認識させられます。私たちのビジネスも同じように常に変化しています。変化することを当たり前として考えていくことが重要になってきます。
先日、日本経済新聞に、元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが高校の経営に乗り出すという記事が載っていました。今治明徳学園(愛媛県今治市)の学園長となり、傘下校を「FC今治高校里山校」に改称して来年4月から再出発するそうです。岡田さんはサッカーの試合を通じて、外国のチームと日本のチームの違いを感じたようです。外国のチームでは選手同士が戦い方を激論して、チームとしての戦い方を決定しているのに対して、日本のチームの多くは監督の指示のもとに戦い方を決定し、選手は黙ってその指示に従うという場面を目にしてきたと言っています。技術以前に主体性の面において負けていて、自分なりに考えて挑戦する若者を育てていかないと、知識量や論理思考の面で発達してきている最近の人工知能(AI)にも勝てないと述べられています。また、日本の教育は物事に必ず1つの正解があると考え、早く効率的にその正解へたどり着くことを重視するという「正解主義」という傾向が強いと分析されています。明治時代の日本は追いつくべき目標が常に国外にあり、その目標を正解と考え、この正解を目ざすことで成長してきました。その後の太平洋戦争(第二次世界大戦)の敗戦からの復興においても、欧米の産業の発展や生活の豊かさを正解と考え、高度経済成長を成し遂げてきました。日本は、この発展の経緯を成功体験としてきたため、正解がどこかに存在していて、それにたどり着くことに終始し、自ら正解を作り出してこなかったように感じます。岡田さんは、このようなことは教育の在り方にも問題があると考え、学園長になろうと決められたと思います。
日本の教育と海外の教育の違いから、「脱・正解主義」について考えてみようと思います。私は日本の教育を受けて育っているので、海外の教育を知っているわけではありません。しかし、学校生活、その後の長い社会人生活を続けてくると、その教育方針の違いが、未知にあふれた社会をどのように乗り切れるかを決めているように感じます。一般的に語られている教育の違いについては、次の例えのように言われています。日本の教育は1+2=CのCを求めることを教え込んでいます。一方海外の教育は、A+B=3のAとBにはどのようなものがあるかを考えることを教えています。前者の場合、「C=3」が正解です。この正解を求めることを教え込んでいます。後者の場合、AとBには複数の正解が存在します。海外の教育では、正解を求める方法は複数あることを理解させていると思います。一方、一つの正解を求めるために努力して能力を伸ばしてきたのが日本の教育です。正解が明確であった時代においては、諦めず繰り返し取り組む姿勢を身につけ、誰がやっても同じ正解へ到達することに努力したと思います。その結果、高度経済成長を成し遂げ欧米の経済に追いつきました。しかし、これからの不確実性の多い世の中においては、正解が一つとは限りません。複数考えられる全ての答えが正解であるかもしれないし、正解が一つもないかもしれません。正解を求めるだけの教育をやり続けると「正解でなくてはいけない」という考え方が主になり、正解かどうか分からない答えは、求めない方が良いという考え方になってしまうのではないでしょうか。これは失敗を恐れるということに繋がってきて、挑戦することを避けるようになってしまい、失敗するくらいなら、挑戦しない方が良いと考えるかもしれません。不確実性なことが多くなった世の中では、どちらの教育方針が最適ということではなく、A+B=CのAとBとCの全てを考えることが必要になってくると思います。また、海外の教育は「教える」というよりも、「生徒一人ひとりの可能性を導き出す・個々の力を伸ばす」という考え方のようです。海外では、日本のように「みんな一緒」の教育ではなく、生徒それぞれの能力に合わせた教育を行なうのが特徴的です。そのため、できないことを叱ったり注意したりすることよりも、それぞれの能力や才能を伸ばすことに重点を置いています。良いところをたくさん褒めることで、生徒は自分のできないことよりもできることに目を向けられるようになり、自信を持てるようになっていくのでしょう。
トップの写真は、2月に鳥取県へ行った時に撮影した鳥取砂丘の写真です。砂丘の馬の背と呼ばれる場所は、標高46メートルあります。この頂上まで登るのには少し苦労します。しかし、この写真が示すように人が登った足跡がいくつも存在しています。自己をアピールするかのように自分の足跡を残したいという思いが現れているように感じます。これからの時代は、この砂丘の頂上のどこへ登るかを自分自身で決め、そこへ向かって全力で登るという考え方が必要になってくると思います。不確実な世の中だからこそ、砂丘にいくつもの足跡を残したように、正解を自分自身で決め、それに向かって努力していくことが重要だと思います。鳥取へ行った際に、鳥取で有名な漫画家の記念館へも足を運びました。
あの「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な「水木しげる記念館」です。
境港市の「水木しげる記念館」は、妖しさと優しさと驚きに満ちた水木ワールドへ私たちを案内してくれます。JR境港駅から記念館までの道は「水木しげるロード」と呼ばれ、道のいたる所に妖怪の像があり、観光客を歓迎してくれます。
水木しげるさんは戦争で片腕を失われましたが、絶望などはせず、自分自身の「好きの力」を信じて漫画を描くことに専念したそうです。どのように生きるかについては正解があるわけではなく、自分が信じたことを一生懸命行われたのだと思います。目標を達成するまでの道のりは様々存在しています。正しいと信じた道のりを進んでいくことで、自分にとっての正解をみつけることができるのだろうと思います。
あとがき
「脱・正解主義」と鳥取が直接的に結びついた訳ではありません。鳥取砂丘の丘の上まで登るのに観光客の方々が思い思いのルートで登っているのが、とても印象に残っていたので、この時のタイトルにピッタリだと思い、2月に撮影した写真を活用しました。水木しげるさんの「好きの力」も「脱・正解主義」に通じるものがあると思いました。
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