鏡の中の音楽室 (7)
第一部 さくら と まゆ
第四章 突然の別れ③
「お待たせ。みんな、病院に行く準備はいいかい?藤田さんのところとは帰りは別々だから2台に分かれていくぞ!」
レッスン場の扉を開けるや否や、進は部屋の中にいたさくらたちに向かっていった。するとすぐにまゆが母の好美に向かっていった。
「お母さん。まゆはさくらの家の車に乗っていってもいい?不安なの。なんか怖いの。」
まゆの懇願するような表情を確認した好美は、まゆの両肩に両手を添えて
「わかった。安達さんに頼んであげる。」
といったと思うとすぐに里香のそばに寄っていき、
「安達さん。まゆとひかりを一緒に載せていってくださいませんか。まゆがさくらと一緒にいたいというし、私もうちの主人と話をすり合わせておかなければならないので、面倒かと思いますがお願いします。」
耳打ちのような形で好美が話すと、里香は大きな声で
「わかったわ。まゆちゃん、ひかりちゃん。うちの車に乗りなさい。さくらもにぎやかなほうがいいでしょ。そしたら、車に分かれて病院に行きましょう」
そうして一同は二台に分乗してレッスン場を出発した。 出発してからすぐに好美は夫の敦樹に向かって神妙な顔をしていった。
「安達さんの奥さんとレッスン場に行くまでに話をしたんだけど、勇先生はもう長くないらしいの。勇先生は『自宅で天寿をまっとうする』と言っていたらしいのだけれど、毎週水曜日と木曜日だけの治療では日常生活もままならなくなっていたみたいなの。けれど、さすが学校の先生だよね。もうほとんどショックで生気の抜けたまゆとさくらちゃんに機転の利いた一言で元気を出させたんだから。だから、一応あなたも何も知らない体で接してあげてね」
「そうか、先生はもう長くないんだね。で、よっちゃんがこの話を今僕にしなければ、特に演技する必要もなかったんじゃないのか?」
敦樹は運転しながら、不思議そうな横顔を見せながら好美に訊ねた。
「いえ、あなたはたまに勘のいいことをズバッと空気も読まずに行っちゃうでしょう?それが怖いから、真実を知らせておいて黙らせようとしているの。どんな言葉がまゆたち二人の精神的なダメージになるかわからないんだからね。お願いね!」
なんでも疑問に思う幼い子の質問を、大人の事情で説明を切り上げる時の勢いがそこにはあった。
「けれど、勇先生には感謝しかないよな。だってさ、まゆが…、僕らの子が次の合唱コンクールでピアノの伴奏を任されるんだから、あの時、よっちゃんが保育所から帰ってくるなり、『まゆにピアノを習わせていい?』って言ってからあっという間に5、6年ずっとただでレッスンしてくれているんだからね。ほんと、感謝しかないよね。けど、ひかりは全くと言っていいほどピアノを弾きたいなんていわなかったな。なんか体を動かしたいって言って、スポーツをとっかえひっかえしながら、なんかなんでもうまくこなしては飽きるのが早いんだよね・・・」
藤田家の車では思い出話に花が咲いた。
一方、安達家の車では、走り始めてから沈黙が続いていた。二人は車に乗車した後からすぐに、お互いの手を握りしめていた、
「さくら、大丈夫だよ。先生は強い人だから。きっと治るよ」
と励ました。さくらは涙をこらえて、
「ありがとう、まゆ。私もそう信じてる。でも、おじいちゃんにもしものことがあれば、私は合唱コンクールで伴奏ができ………」
と言い終わらないうちに里香がその言葉を遮るようにつづけた。
「ばかもん!誰が死ぬんじゃ!そんなに二人は私に死んでほしいのか?ちょっと二人には厳しくしすぎたんかのう!恨みを買いすぎたかもしれんなははは」」
似てはいないが、その意図が二人にわかるように、大まかなことを知っている里香の最大限の励ましであった。
「そうだよね。行ってきちんと話を聞くまではそんなこと考えちゃだめだよね!絶対に大丈夫だから!」
とさくらが言ってまゆが大きくうなずき、二人は互いに励ましあった。
そして、二台の車は病院の駐車場に滑り込んだ。
祖母のすみれは、病院の入り口のロビーでさくらとまゆを待っていた。彼女の顔にはいつもの笑顔がなく、心配そうな表情が浮かんでいた。
「さくら、まゆちゃん、ありがとうね。おじいちゃんは今日から入院しなきゃいけなくなっちゃったのよ。手術も必要だってお医者さんに言われたけど、おじいちゃんは断っちゃって。もうこれで最後だって思ってるみたい。二人に会って話したいって言ってたから、よく聞いてあげてね」
すみれはそう言って涙ぐんだ。さくらとまゆは祖母に抱きついて励まし、病室へ向かった。
病室の扉をノックすると、中から勇の声が元気よく聞こえてきた。
「すみれ?みんなにはちょっと待っててもらってよ。さくらとまゆに先に話したいことがあるんだ。三人だけで先に話しときたいんだ。そうしてもらえないか?」
祖母のすみれや両親たちは、勇が二人に何か伝えたいことがあるのだろうと察して、全員で話すよりも先に二人に話を聞かせる方が良いと思った。そして、大人たちは皆、さくらとまゆにエールを送るように頷き、彼女たちを病室に入れてやった。
病室に入ると、勇はベッドの上で上半身を起こして座っていた。彼の顔つきは変わらず明るく、さくらとまゆに笑顔で声を掛けてきた。
「ごめんな、心配かけちゃたな」
二人は頷いて答えた。
「けれど、私の話を聞いてくれるか。さくら、まゆ。担当の先生によると、私はもう次のお花見には間に合わないらしいんだ。」
勇はそう言って、さくらとまゆの目を見つめた。二人はその言葉に涙がこみ上げてきたが、勇は両手で落ち着きなさいというような合図をしながら話を続けた。
「けれど、これは私が覚悟してたことなんだ。」
二人は驚いた顔で勇を見た。
「実はね、私にもピアノを教えてくれた師匠がいたんだよ。その師匠はピアノを情熱的に弾くことを教えてくれた。さらに私の命に関する予言までしてくれたんだ。」
その後、いろんな話が勇の口から核心部分はベールに包まれながら話されることとなったが、さくらとまゆは、その内容に不思議と違和感を感じなかった。そこには、二人が覚悟を決めなければならない部分もあった。さらに、二人が安心する内容についても話された。今後病院からでもリモートレッスンができることや、それにより合唱コンクールまでしっかりとした指導もできること、さらに、そのためにスマホやネットにつなげるタブレットを二人に用意したこと、そして、二人の一番の希望になったのは、勇が今すぐに死ぬわけでもないことだった。しかし、限られた時間内で、二人は勇からすべてを吸収しなければならないという覚悟が必要となった。その中には、信じられない話もいくつかあったが、どれも三人の絆で信頼のおける内容であった。未来への覚悟が必要になった勇とさくらとまゆの三人は、これからのためではなく、いつかすぐ来るお別れにしばらく抱き合って涙を流した。
やがて、病室の扉が開いて、さくらとまゆが出てきた。
「さくら、おじいちゃんと話せて良かったね。」
進と里香が優しく声を掛けた。
「まゆ、先生と話し合えて良かったね。」
敦樹と好美も同じように声を掛けた。
さくらとまゆは涙を拭いながら笑顔で頷いた。
「うん!」
二人はそろって答えた。
第四章 突然の別れ ③ 完
次回 第四章 突然の別れ ④
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