鏡の中の音楽室 (4)
第一部 さくら と まゆ
第三章 破られた約束
あの日以来、二人は祖父、安達勇のピアノ教室でピアノを習うことになった。
「今日から練習を始めるぞ。守らなければいけないことが多いからな。真剣にやらないとダメだぞ」
勇は念を押した。
「はい、分かりました」
さくらとまゆは真剣に答えた。
「よし、じゃあ、今日からレッスンを始めようか。レッスンを始める前に、私と約束をしてほしい。これから二人は連弾を禁止!そして、さくらはまゆちゃんに教えるのも禁止だ!」
「なんでなの?さくらはまゆちゃんと一緒にひけると思って楽しみにしていたのに」
「まゆも、さくらちゃんと思いっきり弾けると思ったから楽しみにしていたのに」
「何も、一生 連弾を禁止するとは言っていない。連弾とはお互いの実力が同じぐらいでないと素晴らしい作品にはならないんだ。このままでは、さくらはまゆちゃんのために少しレベルを下げて演奏し、まゆちゃんはついていこうと必死になり、さくらの癖をコピーした成長をしてしまう。連弾とは二人にとって楽しいものだ。だから、体に自然とそれらが身についてしまう。お互いレベルが均衡してきたときに許可を出すので、それまで連弾は禁止とする!それから、ここ以外でピアノを弾くのも禁止だ」
「さくらちゃん、まゆ、頑張ってうまく弾けるようになるから、それまで待っていてね」
「まゆちゃんがうまくなるまで、さくらも手伝うから頑張ろうね」
二人は、勇が何を言っているのかさっぱり理解しなかったが、まゆの上達が条件だということだけは理解した。
「それじゃあ、さくら、お前はこの曲を弾けるようになるまで練習するんだ。まゆちゃん、君は基礎から教えてやるから、しっかり練習するんだぞ」
勇はそれぞれに指示した。
「はい、頑張ります」
二人は元気に返事した。
それから、二人は勇にピアノを習い始めた。祖父は厳しかったけど、優しかった。さらにまゆに対しても、さくらと同じぐらいの愛情のこもった指導をしている、と二人も感じていた。二人は祖父の教えに従って、一生懸命にピアノを弾いた。そして、日々上達していった。
1年後、二人は小学1年生になっていた。残念ながら二人は別々のクラスになっていた。さらに、自宅も離れた場所にあったため、登校班も別々のグループに所属していた。だから、しっかり会話できるのが、ピアノのレッスンのため、毎日、勇の教室すなわちさくらの自宅まで一緒に帰るときだけであった。
「まゆちゃん、音楽の授業って体育館のステージでやってるんだよね。」
「うん。あのステージ横にあるグランドピアノ弾いてみたいよね。」
「うん。弾いてみたいよね。けど、おじいちゃんとの約束だから、幼稚園の時のようにはやっちゃだめだよね。」
「でね。前にね、まゆのクラスの子が触ろうとしたとき、先生にめちゃくちゃおこられてた。触ってもないのに。幼稚園とは違うねー。だから、触らないってより、触れないって感じだね」
二人の通う小学校は「古中松北小学校」小高い丘の上にあり、敷地の広い小学校である。校舎は鉄筋4階建てで南向きに作られており、東校舎と西校舎の二つに分かれている。地形的な条件により、東校舎より西校舎の方が1階分高くなっているのが特徴だ。まゆとさくらは1年生だ。1年生は3組まであり、東校舎の1階に教室があった。体育館は運動場の東側に位置しており、東校舎1階からすぐに移動できた。1年生と2年生の音楽は体育館のステージの上で授業をすることになっていた。
さくらとまゆは自身の経験と勇との約束から、学校でピアノの演奏はしないと決めていた。その約束が固く守られる理由がもう一つあった。
「さくらちゃん。まゆ、ピアニカ弾いてみんなに驚かれちゃったよ」
「さくらも!みんな思ったより弾けないんだよね。壮ちゃんなんて一本指で弾いていたんだよ」
二人が通う小学校では入学したときに小学1年生に鍵盤ハーモニカ、通称ピアニカが支給された。音楽では、小学3年生までそのピアニカを使用した。
「ピアニカがあるから、まだピアノを弾くの我慢できるよね。」
「そうだね。こうやって、持ち運べるからどこでも練習できるもんね。」
二人は音楽の授業が大好きだった。先生やクラスメートも二人のピアニカの腕前に驚いていた。二人は時々休み時間にピアニカを披露したり、学校の行事で演奏したりした。その度に拍手喝采を受けた。その演奏はすでに勇との約束のボーダーラインぎりぎりのところに達していることに、二人は気づいてはいなかった。
二人はピアニカを通じて、さらに仲良くなった。ピアノのレッスン時間以外にも、色々なことを一緒に楽しんだ。勉強や遊びやおしゃべりやお菓子作りやショッピングや映画鑑賞などなど。二人は何でも共有した。秘密も夢も悩みも希望も。
そしてそれは、二人が同じクラスだった小学3年生の1月に発表された。
二人の担任の臼杵洋子先生が3月末をもって結婚するため退職するという内容であった。
そこで、3年2組のみんなで、終業式の次の日にみんなで教室に集まってお別れ会をすることなった。お別れ会では、クラスのみんなが個人個人で何か出し物を披露することになった。二人は迷わずピアニカで連弾をすることにした。二人はそれから下校時にひそかに練習を繰り返した。短縮授業の時も公園でしっかり練習し、時間通りにレッスンに間に合うように調整した。そのかいもあって、
「まゆ?すごくうまくなったんじゃない?」
「うん。さくらがいっぱい教えてくれたからだよ。けど、これって約束破ってないよね。」
「だって、あれはピアノではっていう意味だったでしょ。これはピアニカだし。楽器が違うもん。大丈夫だよ。しかも、連弾じゃなくて、別のピアニカで一緒に演奏しているだけだもん」
二人は毎回そんな話をして約束を破っていないという確認をしてから、練習し続けた。
得意のピアニカで連弾を披露することにした二人の選んだ曲は「情熱のこもったあの曲」だった。実は二人は下校の際、毎日いつもの公園で少し練習してからレッスンに向かっていた。楽譜なんてなかった。だから二人は、わかりにくい部分を確認するために、折を見て勇に頼み込んでピアノで弾いてもらい、耳で聞いて覚えていった。いわゆる耳コピだった。
そして、お別れ会の日がやってきた。ある者は手品を披露したり、みんなで参加できるゲームをしたり、楽しい時間の半ば過ぎ、二人の番がやってきた。二人はクラスメートの前に出て、ピアニカを持った。二人は息を合わせて曲を始めた。
「たた、たん、たん、たん、たたたらたたた・・・・」
二人の弾く音は、クラス中に響いた。二人は上手に弾いた。音もリズムも間違えなかった。曲が終わると、クラスメートや先生から拍手が起こった。
「すごいね、さくらちゃんとまゆちゃん」
「上手だったよ」
「素敵だったね」
「先生も喜んでるよ」
みんなが二人に褒め言葉をかけた。先生も笑顔で二人に感謝した。
「ありがとう、さくらちゃんとまゆちゃん。とても素敵なプレゼントだったよ」
先生は二人にハグした。
二人は嬉しかった。みんなの前ですごいことをすることの優越感に乗っ取られた。
「やったね、さくら」
「やったね、まゆ」
二人は今まで感じたことのない感情に体を乗っ取られたかのように、自然とハイタッチをした。
その日から二人はピアニカで連弾することが好きになった。春休みに遊びに行く時もピアニカを持っていってみんなの前で披露したり、いつもの公園でいろんな曲を練習したりした。ピアノも好きだったが、ピアニカならどこへでも持って行けて、気軽に弾けて楽しかった。
しかし一週間後、練習のためにレッスン場に入った途端、勇から大きな声で叱られた。
「二人とも私に隠れて連弾をしたのか?なぜ黙って約束を破った?」
勇は怒ったような声で言ったが、本気で怒っているようには感じなかった。
「おじいちゃん!」
レッスン場に入ったばかりのさくらとまゆは、驚いてその場に立ちすくんだ。
「私と約束した連弾をピアニカでしたのをなぜ黙っていた。」
祖父は二人を叱った。けれど、本気で怒っているようには聞こえなかった。なので、二人は自分たちの意見が言えるような感じがした。
「でも、おじいちゃん。臼杵先生のためにまゆと二人でできることを探したら、私たちにはこれしかないと思ったんです。けれど、これはピアニカでピアノではありません。そして一組の鍵盤ではなく、二組の鍵盤なので、連弾でもないと思ったんです」
さくらは言い訳したのを聞いて勇は進の言葉を思い出した。
それは、前の日の夜更けにさかのぼる。臼杵先生はお別れ会の様子を動画に撮影し、クラス全員の家庭にそれぞれ宛ての手紙と一緒に送付していた。それは、手紙とともにUSBとDVDで送られてきた。その手紙には、さくらが祖父とした約束の隙間をしっかり考えて用意してくれたことや、二人の演奏した曲のすばらしさの説明と丁寧な感謝の気持ちが書かれていた。
それを夜更けに、さくらの父の進から見せられた祖父の勇は驚いた。動画の中で二人が披露した作品は、勇が自身が演奏した曲が完全に再現されており、お互いを気遣うようなレベル落ちもなく、鍵盤のサイズが小さいピアニカで見事な指使いをしていた。体さえ成長すれば、ピアノで練習させようと思っていた勇のこれまでの思いとは違う、二人の成長した姿だったのだ。
「お父さん、あまり二人を叱らないでやってください。私の時代にはなかった発想ですよ。二人には決して無理をして変な癖などついていませんでしたよ。お父さんのピアノの癖がそのままコピーされている方が気になりましたけどね」
笑顔を見せながらさくらの父の進が、さくらの祖父である勇に優しく話した。
「そうだな。確かにお前の言う通り、技術的なことで叱る必要はないかもしれない。でも、「人間として約束を守らなければならない」ということは教えてやらなくてはならない。相談ぐらいはできたはずだからな」
「それはよかったですが、相談しやすい性格じゃないことは僕が一番よくわかっていますからね。そういう意味でも、二人の気持ちはよくわかりますよ」
「お前も私への不満があったというのか?」
「親に不満がない子供なんて、そういないと思いますよ。けれど、今の職業につけているのも、その教育方針に従って強く仕事に向かえるのも、厳しさの中に芯を持った教育をしてくれたことが根底にあると思いますから、今は感謝しています。けれど、多様化の時代には、選択肢が少なかった時代とは違い、いろんな方法があることを、僕も今学んでいる最中です」
進は今まで自分が抱えてきた疑念や不満と、移り行く時代に自分たちも変化していかなければならないことを父である勇と語り合った。
「(時代が変わってきたというわけか・・・)けれど、約束は約束だ。なぜ私に一言も相談しなかったんだ?確かに曲は素晴らしいものだったし、二人もみんなも楽しそうだった。けれど、みんなのためになるからと言って楽しいだけではダメだ。演奏には情熱が必要なんだ。情熱を持って弾かなければ、本物の音楽家にはなれない」
けれど勇は知っていた。抑圧が情熱の爆発の原因になることを。過去の名だたる芸術家たちは抑圧のされた日常からの脱却を芸術に込めたこと、勇自身も「あれしちゃいけない、これしちゃいけない、周りに合わせろ!」という中から見つけた、ピアノを演奏するときの解放感を。勇あえて厳しく言った。
「ごめんんさい。おじいちゃんに相談したら、きっとダメだって言われると思って相談するのが怖かったの」
さくらに続き、まゆも口を開く
「ごめんなさい。でも、隠れてする練習よりもここでのレッスンは大切にしていました」
さくらとまゆはありったけの思いをぶつけた。
「情熱って何なの!?」
そして声がそろった。
「情熱はな、その曲と楽器に対して、感謝、愛情、尊敬、友情、憧れ、希望、夢、楽しさ、悲しさ、怒り、恐れ、勇気、希望などいろんな思いをこめるんだ。それが情熱だ」
勇は優しく二人に話した。
「じょうねつ?いろんな思い。けど、よくわからないです。」
さくらとまゆには理解できなかったけれど、勇があまり怒っていないことだけは理解した。だから余計に「情熱」という言葉だけは記憶に残った
。
「じゃあ、おじいちゃん。どうやって情熱をこめるんですか?」
さくらは尋ねた。
「それはお前たち自身で見つけることだ。私は教えてあげられない。でも、一つだけ言っておこう。同じ曲を何回も何回も弾くことだ。その度に違う気持ちを込めることだ。そうすれば、情熱がわいてくるはずだ」
勇はアドバイスした。
「分かりました。頑張ります」
さくらとまゆは真剣に答えた。
それからというもの、二人は祖父の言う通りに、同じ曲を何回も何回も弾いた。ピアノもピアニカも。その度に違う気持ちを込めた。そして、今まで通り必死で練習に打ち込んだ。
第三章 破られた約束 完
次回 第四章 突然の別れ
(鏡の中の音楽室 第一章 さくら と まゆ)
(タイトルの画像は「古い日本の校舎後者 音楽室 グランドピアノ」というお題でBing Image Creatorが作成した作品です。)