中学3年間不登校だった自分
はじめまして。響といいます。
最後まで読んでいただければ幸いです。
よろしくお願いします
自己紹介
現在17歳で中学は3年間不登校そのまま高校には行かないことを選択して自由に楽しく生きてます
そんな選択をした自分が何に悩んで生きてきたのかをこ今現在不登校の子たちとその親御さんに読んでいただきたいです
不登校になった理由
小学校は割と好きで勉強も嫌いじゃなかった何より運動が好きで中学に上がるのが結構楽しみだった
中学に上がってからは学校に上手く馴染めかったり勉強についていけなくて月に1〜2回休んだり保健室に行ったり早退したりの繰り返しそしたらまた勉強についていけなくなる
部活も変な上下関係が嫌でサボりがちにそんな状態じゃ当然人間関係もうまくいかなくて友達に話しかけても自分のことは無視されてめでたくぼっちの完成ですよ
そんなのに耐えてたら夏休みが来た!
そこからは天国
僕はあの夏休みが始まった時の嬉しさを忘れない
でも残念なことに夏休みは1ヶ月で終わるわけでまたあの環境に戻ることを考えると寝れなくなって夜中に吐いたり急に泣き出したり親に相談しても学校に行けしか言われなくて逃げ場がなくて自殺するかを本気で考えた
引きこもりも立派な才能
夏休みの終わりに自分で死ぬくらいなら引きこもろうって思って引きこもりを始めた学校に行けって怒鳴られるのをあさ8時20分まだ耐える親はサラリーマンだったから朝の10分耐えるだけで学校に行かなくて良い
そんな生活を1週間くらい続けた時家の中に居続けるのが耐えれなくて親と話し合いをした
内容はあまり覚えてないけど結果としては
僕の人生じゃないから君の好きなようにやりなさいと言われて親公認で不登校になれた
不登校の悩み
晴れて親公認で不登校になったものの親としては学校に行かない日中にお前は何をするんだ?と聞かれる
そんなことを僕に聞かれても言われてもわからないわけで、でもそれが答えられないと親としても困るの繰り返しの連続そんな話し合い
初めは毎週2回晩ご飯を作ることから始まった
ゲームが好きだったからゲームに関わることがしたいと言ったら環境を整えてくれたり
やりたい!って言ったものは基本なんでもやらせてくれた
夜中によくドライブに行こうって誘われた
助手席に乗って車で2人でなんでも喋った
くだらない話やりたいことの話やりたくないことの話社会の仕組みとか経済とか政治のアレコレとか色々喋って聞いて眠くなって寝て起きてまた喋ってドライブに行こうなんて誘われて結局起きたらお昼で父の目的は講演会でいきなり連れて来られた僕としては興味もないわけで寝たり聴いてみたりの繰り返しでそんな感じで連れ出されるのが何回かあった
出会い
そんな中で連れてかれた講演会で神戸のhappyの家を知った
なんかわからないけど面白そうって初めて思って
講演会終わりに自分で交渉してまた来てもいいって約束を取り付けて次は1人でバック1つ持って青春18切符で貧乏旅
埼玉から出たいって思えたのと何かあっても最悪親がどうにかしてくれるっていう安心感と神戸が楽しそうって思えたことが外に出れた理由だと思う
それから5年長いようで短い5年
そこで出会ったおじいちゃんの死をきっかけにお遍路に行ったりそこで知り合った農家さんのとこで1年間お世話になったりしたけど結局神戸に帰ってきて5年経った
まとめ
不登校で悩むことは多いと思うこれからも悩み続けると思う。僕もずっと悩み続けている。
ただ親は敵じゃないし子供としてもなりたくて不登校になったわけじゃない
それがわからなくなる時があるだけでその人のペースでゆっくりわかり合っていくことがこの問題の
解決策なんだと思う。
ここまで長文にお付き合い頂きありがとうございました
また、次の記事で。