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アルゼンチンの知られざる空手家たち|Essay

今回は、大草原とワインとタンゴの国であるアルゼンチンで、沖縄出身の空手家の足跡をたどります。

みなさんは、アルゼンチンで空手⁉と思われるかもしれません。でも、この国は意外にも空手大国です。沖縄から何人もの空手師範が海を渡り、空手の礎を築いてきました。戦前では比嘉仁達らが、戦後では宮里昌栄、仲里茂雄、赤嶺茂秀らが移住し、空手の伝道師として此国で尊敬されています。

空手の雑誌も以前は何冊も発刊され、沖縄出身の師範が毎号のように取り上げられていたそうです。また、当地の沖縄県人連合会会館には体育館があり、そこでは空手や柔道の稽古が行われもしています。

アルゼンチンでの空手の草分けが、安里亀栄という人物です。中城村奥間の出身で、在沖当時から「武士(ブサー)」と称されていました。彼は1930年にアルゼンチンに移住しますが、どうやら沖縄から棒や釵を持ち込んでいたようです。1935年にこの国で初めて一般向けに行われた空手の公開演武でも、これらの武具が用いられていて、ありがたいことにそれを遺族が保管されていました。ちなみに、これは現地の一般市民にも開かれた海外の空手エキシビションとしては相当に古く、1927年のハワイでの屋部憲通の演武に次ぐものです。

翌1936年にも県系人の集まりで演武を披露しており、写真(載せたいけど載せれません。沖縄空手会館の資料室にあると思います!)で相手をしているのは、亀栄の弟の亀永です。彼の当時の旅券を、孫である安里フェルナンダさん(彼女は県費留学生として来沖経験あり)が大事に保管されていました。これも空手の海外展開という点では、第一級の資料ではないでしょうか。

この他にも安里亀栄が与那原町出身の知念善一とともに空手指導をしている写真があります。海外の空手実践の貴重な証拠だとみなされます。また、同じく与那原町出身の新里智純が、那覇商業学校で宮城長順の指導を受けている写真があります。いずれも1920年代から30年代にかけての埋もれていた古写真だといえるでしょう(同じく沖縄空手会館にご来館くださ~い)。

このように、移民をとおして直接的に伝えられた空手の海外展開ルートは確かに存在しました。日夜の鍛錬を怠らずして、戦わないことを旨とする沖縄空手が、スポーツ化以前の1930年代に遠く南米に伝えられていたという、沖縄空手の沽券に関わる史実を掘り起こすことができたのは、ほんとに誇らしいことです。


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