日系移民と1㍉も接点がない人にこそ読んでほしいパナス|Review
10月25日は「空手の日」。10月30日は「世界のウチナーンチュの日」。10月は沖縄絡みの記念日が多くてスケジュール管理が大変だよ。今日はこのふたつの記念日の抱き合わせ企画でイクぜ!
主人公は儀保蒲太(ぎぼかまだ)、1895年生まれ、旧南風原村字津嘉山出身。なにをした人かというと、ブラジルで博打のディーラーをやってた。ふつうこんな裏稼業は移民史の正史には出てこないのだが、あまりの花形賭博師ぶりと、儲けたお金を貧しい人や福祉分野に寄付する篤志家ぶりがかっこよく、みんなが惚れてしまったのだ。
彼のライフヒストリーは比嘉憲司著で小説化されており、南風原町民劇場で移民劇としても上演されたことがある。本の名は『イッパチの夢を賭ける―ブラジル移民秘話』(沖縄教販 2005年)という。イッパチはあだ名。彼は1908年(明治41年)4月28日に神戸港を出港したブラジルへの第1回移民船の笠戸丸の乗船者で、航海中にそのあだ名が付けられた。わずか13歳だった。
日系人で最初の歯科医師になった幼馴染の金城山戸(きんじょうやまと)とは深い絆で結ばれ、その友情は数々のメディアで美談として取り上げられている。
さて、紹介するのは空手の箇所だ。まず以下の引用を読んでくださいな。
亀助は本名は「龜助」で、実在した人物。1891年生まれで、28歳間近の1919年10月に移民船に乗った。羽地村字仲尾次の出身だという。ただ、この人が空手家だったのか私は傍証を持たない。小説なので、多分に想像力を働かせたところがあると思う。例えば次の箇所では、コンデ・コマこと前田光世が登場するが、これは明らかに脚色だと思われる。
なぜこうしたあからさまな創作が挿入されるか? 小説の初出は新聞連載だった。きっと読者を飽きさせないために、ときどきは手に汗握るエピソードが必要だったのだと思う。
また、演劇化に際しては、劇中に観客が盛り上がる山場が必要だ。賭け事のシーンは、フォーカスインもアウトもできる映画と違って、演劇の表現手法はどうしても地味だから、そればかりだと間が持たないのだ。
代わりにといってはなんだが、県系移民からの聞き取りで得た証言をいかしている箇所もある。いくつかの小さな逸話が積み重なって、このようなメタ解釈に行きついたのだろう。
本の初めのほうには、笠戸丸の航海に疲れた移民たちを慰問する出し物として「空手」が出てくる。これなども他の移民船の記録と照会すると、おそらく事実であろう。
作中、イッパチを支える人物として、伊豆見辰次が登場する。幼少の頃から叔父に唐手を習っていたという。だが、この氏名では「沖縄県系移民渡航記録データベース」ではヒットしない。近いのは伊豆味辰四郎、伊豆味吉次だが、経歴がいくぶん異なる。こちらは実在の人物の特徴を寄せ集めたハイブリッドな想像上の人物である可能性が高い。
創作やメタ解釈が独り歩きして、後年、あたかも史実であったように語られるのはよくあることだ。われわれは常に批判的まなざしを片側の目に宿しておかねばならない。
なお、戦前移民の空手家として名の挙がる屋比久孟徳は、この本には登場しない。
註
現地の日系紙に空手(唐手)の紹介記事がある。内容は当時の日本における空手動向の要約みたいなものだが、下の広告に「屋比久孟徳」の名が見える。これが当の本人なら、まるで記事中の秘密主義を地で行く知らん顔ぶりに思えた。
いちおう「沖縄県系移民渡航記録データベース」を屋比久孟徳で検索したが、1904年生まれ、1926年ペルー渡航の人物しかヒットしなかった。この方は空手家の屋比久孟徳とは別人である。
なお、屋比久姓の名乗頭は「孟」であり、沖縄にも移民先にも孟のつく名前を持つ人が多い。本家は南城市佐敷にあり、元祖は「儀間金城親雲上孟明」とされている。
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