「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」考察3 ハーレイクインとは何者か
⤴︎先にこっちを読んでくれ
ハーレイクインとは何者か
ジョーカーと信者たちの関係でハーレイクインとの関係も描写される。
まず、ハーレイクインはアーサーの悪の権化ジョーカーとしての側面にのみ惚れ込んでいる。アーサーの部分は知らないし知ろうともしない。
アーサーはハーレイこそ自分を理解してくれる人だと感じて恋をした。共感の魔法だ。
だから精神医学の話をしてアーサーの性格を説明しようとする証人や弁護士は退屈で、裁判中、ハーレイに見せつけるようにあくびのジェスチャーをする。理屈は退屈で共感が欲しいと。その後弁護士をクビにする。
だがハーレイのアーサーへの愛は思い違いだったことがわかる。
ハーレイが精神科医で金持ちの娘だったという、真実を知ったアーサーはハーレイに撃ち殺される妄想をする。
一緒に歌を歌い、自分が目立っていたのにハーレイに人々からの称賛を横取りされる妄想もする。
つまりハーレイの自分への愛情に対して疑心暗鬼になり、ハーレイの真の目的を想像するようになる。
序盤はハーレイ自身も虐待され、母親に病院に入れられたとアーサーに共感する形で惚れ込んでいるのかと思っていた。他のジョーカー信者と同じように。
しかし中盤になり、それは嘘だったことがわかる。ハーレイは虐待を受けておらず、父親も自身も精神科医だ。病院にはジョーカーに会うために自分から入ったというのだ。
つまりハーレイは恵まれた人側の人間で、ジョーカーに共感して神格化している人たちとは違う。それなのにジョーカーを信奉している。
では、ハーレイクインは何者なのか
裁判所でアーサーの裁判を見ている人たちが、映画を見てアーサーをジャッジしている観客だとしたら、ハーレイもまた観客だ。
それも社会的弱者ではない、恵まれた多くの観客たちだ。アーサーのジョーカーとしての面に注目し、エンターテイナーとしてジョーカーを好きになり、あわよくばジョーカーという映画を利用して、俺みたいに考察ブログなんか書いて自分が目立ってやろうと企む観客たちなのだ。
それも安全圏から。
誰もが厨二病の時期に、まあその年齢じゃなくてもいいが、殺人事件をエンターテイメントとして楽しんだり、消費したことがあるだろう。
なんなら俺はサイコパスだのなんだの言ってネットのサイコパス判断テストとかやってた時期があるだろ!
前作ジョーカーを楽しんだ観客がまさに、安全圏からジョーカーの恐ろしく悲しい人生、事件をエンターテイメントとして消費している。
安全圏から社会的弱者、恐ろしい殺人鬼を楽しんでいるところがポイント。
ハーレイを描写するとき、この中と外、ハーレイのいるところは安全圏だということが強調される。裁判のシーンでは柵を境に後ろで聞いているだけ。牢屋の柵越しにキスをする2人、牢屋の中にいるのはジョーカーだけだ。面会に来たハーレイはガラス越しつまり中と外とで分けられた状態で会話する。
ハーレイクインこそジョーカーを操り、ジョーカーをジョーカーたらしめる人物なのだ。
ハーレイとの面会のシーンでガラスに口紅を塗り、笑顔の口を描く。そこにアーサーの顔が重なり、アーサーが笑顔になる。
ジョーカーの象徴であるピエロのメイクを外側の安全圏からアーサーにメイクする。まるでハーレイがアーサーのジョーカーらしさを操っているように。
牢屋の柵越しにキスをするシーンでは、アーサーはタバコを吸い、キスをしながらタバコの煙をハーレイの口に吸い込ませる。
この映画でタバコが何を意味するかは今後の記事で考察しようと考えるからそっちも読んでくれや。
ジョーカーのタバコの煙をハーレイが吸い上げるこのシーンはジョーカーの認知度、悪のカリスマを搾取してやろうというハーレイの魂胆を感じるワンカットだった。
だがハーレイの嘘を知ってしまったアーサーはハーレイの共感と愛を使った洗脳に疑問を持ち、裁判で自分はただの人間だと主張する。
だがハーレイはアーサーのジョーカーとしての側面にしか惚れていないため、終盤自分はどちらの側面も持ち合わせたただの人間だと主張するアーサーに失望し、裁判所を去る。