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「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」考察8 なぜ看守たちはジョーカーにジョークを求めるのか

⤴︎先にこっちを読んでくれや

序盤、看守たちはアーサーに何かジョークを言うように求む。ジョークが聞きたいわけじゃない。アーサーを笑い者にしたいのだ。
ジョークで人を笑わせるのではなく、笑われるようになったのだ。
だから求められても自分からジョークは言わない。
アーサーの髭を剃るのは看守でアーサーは唇を切られても何も言えない。支配服従の関係になっている。
髭剃りに使うクリームや、唇を切ったせいで頬を流れる血がジョーカーのメイクを思い起こさせる。
アーサーのジョーカーらしさは看守によってコントロールされているのだ。
このアーサーのジョーカーらしさが他者によってコントロールされているという表現は、ハーレイクインとの面会のシーンでも表現される。

この作品のジョーカーとそれを崇拝し、自分の考えるジョーカーをアーサーに強要する人たちとの関係を暗示している。


ジョークを言うとタバコをもらえる。笑い者にする対象という役割をアーサーが演じてくれたので、その褒美としてタバコがもらえるのだ。
だがハーレイクインとの出会いや裁判を経て、アーサーはジョーカーを演じるようになる。今まで笑い者にしてきた男が、人気者になり始める。


気に食わない看守たちは、まずジョーカーの顔のメイクに水を浴びせ、ジョーカーの象徴である赤いスーツに剥ぎ取る。
ジョーカーは普通の人間で笑い者の対象だということを思い知らせる。

そしてその後の、母親を殺したことを裁判で明かし、ジョーカーという虚構のカリスマ性を自ら捨てる裁判のシーンにつながる

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