「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」考察13 今作のタイトルがフォリアドゥなことの意味
まずジョーカーとハーレイの関係を表してる。
ハーレイがアーサーに夢を提示し、アーサーはそれによりジョーカーらしくなっていく。
裁判所爆破の後の階段で再開した時も、アーサーだけは恋愛という、いっときの夢を信じ続けている
ハーレイもまた、アーサーの一面であるジョーカーという虚構、妄想を信じている。
またジョーカーとその信者たちにも重ね合わすことができる 革命のアイコンであるジョーカーのカリスマ性は、ジョーカー信者たちに感染していく
2人だけじゃなくジョーカーの側面にのみ期待する全ての人間にこれは当てはまる ジョーカーという悪の権化をこういうものだと決めつけ、糾弾するハービーや心酔するジョーカー信者たちは、このような妄想を抱き、それが裏切られる
もし、過去の記事で書いたように登場人物全員がアーサーらしさを見ようせず、様々な形でジョーカーとしての側面しか見ずに、その悪のカリスマという妄想を信じているのだとしたら、ある特定の二者の話じゃなく、ジョーカーとそれ以外の関係全てに当てはまるのかもしれない?
フォリアドゥは妄想が移ることらしいが、ジョーカー自身も妄想癖がある。今作でハーレイに影響されて裁判所をのっとる妄想なども、ハーレイの革命の妄想がジョーカーに感染し、ジョーカーもそれを妄想する。今作はジョーカーの想像だったというシーンが多い。