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大学生が精神を病んで、諦めることの大切さを学んだ話。

最近、ひとは何かを諦めながら自分を見つけていくんだな、と実感した大学三年生です。
まあ、完璧な人間なんかいないから、当たり前なんだけれど。
そんなことがまるで分からなかった1年前の私がここに至るまで、どんな経過を辿ったのか書いてみたいと思います。


大学入学

公立の高校でそこそこ成績の良かった私は、国立大学に進学しました。
辛いことや悩みは当時の私なりには色々あったけれど、大した挫折を経験するわけでもなく、高二まで部活に打ち込み、その後予備校に通わせてもらって現役で進学しました。この成功体験が、「失敗できない」というプレッシャーになっていたことに、後になって気がつくのですが。

大学ではサークルに入って毎週末練習に出かける傍ら、平日は塾講師のバイトをしていました。空いた時間には大学で出会った恋人とよく会っていましたが、学業成績もそれなりに良く、順調でした。
勉強、サークル、バイト、恋愛……。何もかも手に入れた、完璧な大学生活。
当時の私はそう信じ込んでいました。


突然の鬱

二年の春学期が始まって数週間後、異変は突然起こりました。
起き上がれない……
目は覚めているのです。頭上の時計に目をやると、外出しなければいけない時間まであと2時間。そろそろ動き出したいな。でも動けない。
あと1時間半。1時間。もう45分前だ。
やばい、30分前。どうして動かないんだ私の体。
20分前。17分前。15分前。
焦って何度も時計に目をやるのですが、鉛のように重くなった体は言うことを聞いてくれません。
不安と焦りで涙が出てきます。

その日はサークルの活動日でした。
無断欠席が許されないコミュニティだったので、活動時間が始まると電話がかかってきます。
泣きながら電話越しに体調不良を訴えると、心配した先輩が少しの間活動を休むように言ってくれました。
その後、食欲不振に睡眠不足で大学にもバイトにも行けなくなり、引きこもりが始まります。その時期は恋人と会うのも億劫で、距離を置いていました。
サークルを辞める連絡をした際、先輩が最後の優しさで精神科を予約してくれたことで、鬱病だと判明しました。先輩には本当に感謝です。


療養〜長期休み

精神科へ行き、薬をもらうと、一ヶ月ほどでほとんど普通の生活が送れるようになりました。私の場合はそんなに重い鬱ではなかったので、二ヶ月ほど大学を休んだ後、授業に復帰しました。
欠席回数的に諦めた授業もありましたが、診断書を貰っていたので配慮していただき、いくつかの単位は取ることができました。

そして夏休み。
体調も回復して、時間も有り余るほどあるのですが、私にはほとんど何も残っていませんでした。サークルを辞め、バイトは長期間の休みをいただき、友達と会う気にもなれず……
恋人と会う時間だけは楽しかったのですが、彼は就活ガチ勢だったため、私自身もなんとなく将来を考えなくてはと思い始め、そのぼんやりさ加減に嫌気が差すこともしばしば。
今日を生きるのに精一杯なのに、将来やりたいことなんてないよ!!
そんな大きな夢なんて持てないよ!!!
といった感じでした。


虚無バイト

何も考えずに生活を送りたいと思った私は、コンビニバイトを始めます。
以前のような忙しい日々では、塾講師バイトのコスパが最高だったのですが、暇なのであれば、どんなに給料が安くても長時間入った方が稼げます。
とにかく時間を潰そう、やることがないのならとりあえずお金を貯めておこう、と言う考えで、週6でバイトに明け暮れました。
人生にはこんな時期があってもいいよな、と思いながら。

コンビニバイトもそれなりの面白さはあって、お客様と接する中で、色々な人間の種類が知れて楽しかったです。同じ職場で働いている方々はほとんど私の両親以上の年齢だったので、すごく可愛がっていただきました笑。


やりたいことって、なんだ?

こんな風になるまで、正直私は、このまま院進して留学して、アカデミックな世界に生きるんだと思っていました。将来的に海外で生活したいなぁとも考えていました。
でも、無理かも、向いてないかも、てか、そもそもやりたいことじゃなくない?という感じで、だんだんと違和感に気づいてきました。
それまで私にとっての「成功」の形がそれだったから、他の選択肢を考えていなかっただけで、自分にあったことをやればいいだけの話なんだと、思い始めました。

学問、サークル、バイト、色々なものを諦めた中で、支えてくれた恋人を除いて、私が唯一手放さずにすんだもの。それは趣味の読書でした。
私は幼い頃から文章を読んだり書いたりするのが好きで、言葉というものに特別な憧れを抱いていたのですが、何か他に成し遂げるべきことがあるような気がして、自分の気持ちに気づけていませんでした。

とにかく目の前にある全てを手に入れることが成功だと思い込んで、無理してがむしゃらに走ってきたんだな、と。
でもそうじゃなかった。私は心の風邪を引いて、手に持っていた全てを一度放り出したことで、その後もう一度掴み取りたいものと、そのまま手放してもいいものがあることに気がついたのです。


小さな一歩

私は何か、ことばに関わる仕事がしたいと考えるようになりました。
まだ、夢に挑戦する期間としての院進も視野に残しているのですが、とりあえず何か作品を賞に応募するとか、何でもいいから在学中に文章でお金を稼ぐ経験をしてみようとか、そんなぼんやりとした考えです。
全然「王道」は歩めないだろうし、目に見える成功なんてないだろうと思います。それでも、敷かれたレールの上を走ってきた私にとっては重大な挑戦です。

大学の授業が始まってからはコンビニバイトを辞め、元々やっていた塾講師のバイトを再開していたのですが、そこである日思いがけない提案を受けました。
「校舎のブログを書く業務をやってみないか」
という内容でした。
文章を書いてお金を稼ぐ。どんな形であれ、私のやってみたかったことです。
久しぶりに心が弾むのを感じました。


諦める大切さ?

ここまで書いてみて、全然諦める話じゃないじゃん、と思われてしまう気がしました。でも、確かに諦めました、自分の中にあった成功の形を。
勉強、バイト、サークル、恋愛をこなして充実した学生生活を送り、将来は権威への道を進む。
持っているものが多いほど幸せで、自分にその能力があることを誇らしく思うことで、生活の無力感が満たされると信じていました。
しかし、自分ひとりが同時に持てるものには限界があって、そのうちの一つにしても、上を目指せばどう頑張っても手に入らない次元がある。

とにかく、
全ては手に入らないと気づいてからじゃないと、本当に手に入れたいものが何なのか、人は考えることをしないのだと思います。
こうやって諦めながら自分を見つけていくんだな、と思い知った1年間でした。

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