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飯を食う

『飯を食う』という言葉が私にはとても引っかかる。

今日は少しこの問いについて考えてみる。

『飯を食う』という言葉は多分たくさんの人が耳にタコが出来るほど聞くワードでないだろうか?

飯を食って行くためには、働かないといけない。

食うに困らない生活をしないといけない。

そのためには働かないといけない。

果たして、1ヶ月どのくらいで飯を食えるのか、考えてみる。

飯を食うだけであれば、1日500円程度あれば腹を満たそうと思えば満たせる。

そうなると(500×30〜1日)で1ヶ月15500円あれば食っていける。

その分の仕事をして15500円分貰えばいい。

しかし、そうはいかない。

私の好きなイカの塩焼きは税込500円である。

このイカの塩焼きを夜だけ食べるわけには行かない。たまには節約して余ったお金で贅沢をしてイカの塩焼きを食べに行ったら良いと思う。

したがって、『飯を食う』という行為はできる。

だが、飯を食う以外にもお金がいる。服がいる。

住むところは公園でも橋の下でも住めるが。

そのために、社畜になり働きその分のお金をいただく。

つまり、生活に必要なお金が他にもあるという事だ。

私の疑問は『飯を食う』というこの言葉は間違えていると思う。

たった少しの疑問だが、そのように考えてしまう。

飯は食っていける。しかし、生活ができない。

それだったら、シンプルに『服を買っていけない』
としてはどうだろうか?

これを知人に話すと少し笑ってくれるかもしれない。(笑)

言葉はとても難しい。

だか、この疑問こそが生きる意味ではないだろうか?

疑問な言葉。たくさんあると思う。

この『飯を食う』という言葉は戦後間も無く出来た言葉だと思う。(個人論)

今の私たち現代人は『飯を食っていけない』ではなく、『服を買っていけない』ではないだろうか?

時代によって、言葉も重くなり、軽くなる。

しかし、今も尚語り継がれている言葉は重みがあり、普段の私たちに結びついているという事だ。

という、屁理屈のような疑問を書いてみた。

今日も素晴らしい日だった。このまま三日坊主にならないといいが。(笑)

さぁ気にせず、イカの塩焼きでも食いに行こうか!

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