左利きのこどもに、右利きの練習箸を持たせた結果は?
人間には生まれ持った資質があると感じたことはないですか?
・せっかちな子 ⇔ のんびりした子
・細かな文字の解説で読み解くのがすきな人 ⇔ 直観的に画像や図解で理解したい人
いろんなタイプの人がいるので「あの人とは波長が合う、合わない」という言い方でそのタイプが違うことをあらわす表現もありますよね。
今回は足りない資質を努力で補っていくよりも、生まれ持った資質をいかしていく方がらくではないか?という点を子どもの成長を振り返って、考えてみたいと思います。
【お箸の持ち方の練習をしたときの話】
我が家の、のん太は小さいころから右手でも左手でも、上手にクレヨンやスプーンを使いこなしていました。
私の母は子供のころ左利きだったのを、学校の先生の指導で右利きに矯正されたそうです。でも今は時代もかわり絶対に右利きでないといけないというわけでもありません。だからのん太の利き手がどちらでも私は全く気にしていませんでした。
しかしそろそろお箸の練習をしようかな~となった時、はたと問題が発生したのです。
“エジソンのお箸”という、お箸に指を通すリングがついたサポートタイプの矯正箸を買おうとした時のことです。
「右利き用」か「左利き用」かの選択 を迫られたのです。
迷った末、複数の友人にきいてみたところ、飲食店を経営する友人が言った言葉が気になりました。
「左利きの人と右利きの人が並んで食べていると、どうしてもお互いの手がぶつかってしまって食べにくそうな光景をよく見かけるよ。だからどちらでもいけそうなら、無難に右利きで練習してみれば?」というのです。
(*注1)
なるほどそうか、、妙に納得して、右利き用のエジソンのお箸を買い求め、早速練習を始め、数か月が経過しました。
もうそろそろ補助具なしでも行けそうかな?と思い、補助具のない普通のお箸をのん太に持たせてみたのです。ドキドキ・・。
するとどうでしょう。そっと見守る母の気持ちをよそに、右手に持たせたお箸をあっさりと“左手”に持ち替えて食べ始めたではありませんか!
うぅ~。何度右に持たせても同じ繰り返しで、左手に戻ります。
そこではっきりと気づいたのです。
「やっぱり人間には生まれ持った資質がある」
のだと。そしてそれは人間が自然ととってしまう行動にあらわれるのだと。
本来の左利きという資質を無視して、努力して右でお箸を持つ練習をするということは、本能に逆らった行動で余計な負荷をかけている。
なんだかとても不合理に感じた出来事でした。
そんなわけで我が家ののん太はその後、左利きのまま生活をしています。
左利きなら、芸術派に多い(?)右脳が発達するかもしれないし、あまりいない利き手というのものも逆にいいか~ぐらいのゆるい気持ちで受け止めています。
もちろん人生のすべてにおいて努力が無駄になるというわけではありません。生きていくうえで克服すべき点がでてくることもあるでしょう。
その時は大いに努力が必要ですよね。
しかし、本来持つその人の資質(強み)を活かしていく方が自然な流れにそっていて、らくではないかなと思うんです。
「足りない資質の克服に力を注ぐより、強みを活かすことに注力する方がいい」
と、頭のかたすみに入れておくと誰しもが、スイスイと人生をらくに泳いでいける気がしたんです。
さいごになりますが、のん太とその兄の二人の子供を育ててみてしみじみと感じていることをお伝えしますね。
同じ育て方をしたのに、よくもまあこんなに持ち味が違うものだな~ということです。得意な点、不得意な点が全く異なるんですよね。
そしてそんな二人に、意識的に行っているのは、それぞれの良い点に注目して育てていくということです。
よいところを徹底的に伸ばしていけば多少の悪いところはめだたなくなるかなという気持ちで接しています。
完璧を目指す子育ては親も子も疲弊してしまいますからね。
(経験者です (;'∀') )
しゃかりきにならずに、少しゆる~く子育てをしていきましょうね!!
さいごまでお読みくださりありがとうございました。
*注1
右利きの私と、左利きののん太が、食事で隣に座るときは、なるべく左にのん太、右に私が座るようにしています。(逆だと友人の言っていた利き腕同士がぶつかり合う状況になってしまうので・・。ご参考までに。)