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⑱母の爆弾発言

披露宴スタート

いよいよ披露宴が始まる。
白無垢で招待客をお出迎えしたあと、打掛に着替えて入場した。

クラシカル和モダンな会場。
11月だったので、装花にはびっくりする大きさの赤いダリアがふんだんに使われていて心が躍った!

THE・和!

しかし、ここでも心配ごとが一つ。
主人の上司が「祝辞で失礼な事を言わないかどうか」である。

主人の上司は、”お前はこんなに出来が悪い、こんなんではいかん!”と叱責することが部下のためになるという考えの人だった。

過去に、結婚式の祝辞にも関わらず新郎をこき下ろしたことがあるらしく、主人はそれが心配でずっと悩んでいた。
それはもう夜も眠れないほどに・・

悩んでも仕方ないやん?
親にそういう祝辞になるかもしれないとあらかじめ言っておけば?と主人に言ったけど、そういう問題でもなかったらしい。
育ててくれた親に、大勢の前で叱責されるのを聞かせるなんてとてもできないと。

この時私は、彼の両親への「愛」を私は感じてすごいなと思った。


しかし蓋を開けてみれば、そこまでの悲劇は起こらず、若干のトゲはあったものの無難な祝辞に終わった。
誰か周りの人があらかじめ上司に忠告してくれたのかもしれない。
とにかく安堵した!

しかしこの上司が母の爆弾発言の引き金になるとは、誰が予想しただろうか(笑)

花嫁の手紙

主人側のゲストもわいわい楽しそう。
私の会社も安定の盛り上がり(お酒が入りやや心配だが)、私の友人も皆楽しんでくれている。

お色直しの退場のエスコートもサプライズで両親にお願いして、ドキドキしながら手をつないだ。
よし、母の機嫌も悪くないようだ。

母と手をつなぐのは怖い


お色直しは振袖にした。
成人式の時に母が張り切って選んだ振袖だ。
私自身が気に入っていたこともあったけど、これも「着物好きの母を立てるため」にしたと思う。

桜、紅葉が美しい振袖

さて、ここまで来たら「アレ」が待っている。
「花嫁の手紙」だ・・・

とにかく感謝できることだけでも書こうと振り絞って書いた両親への手紙。

父には幼い頃からの思い出を書き綴り感謝を述べた。
ふと父を見ると泣いていた。。

母には、お金をかけて育ててくれたことへの感謝を述べた。

母が塾通わせて中学受験させてくれたおかげで、卒業しても仲良くしてくれる友達に恵まれたこと、大学選びも母のおかげで自分に合ったいい大学に行けて感謝していること。

話しているうちに、
「あれだけの罵詈雑言、嫌み、いやがらせの数々を受けたというのに、私はいま無理矢理感謝を並べて・・・何をやっているんだろう?」
と心底虚しく、悲しくなってきた。。

いつのまにか涙が頬を伝う。
手紙を読む声が涙で震えてしまう。

つられてすすり泣く声が、しっとりしたピアノのBGMとともに会場に響いた。

みんな泣いている。。
ごめんなさい。
感極まった涙じゃなくて、悔し泣きなんです。。

式の後、「泣ける結婚式を期待」していた友達から「感動したよ😢」と口々に言われた。
意外とバレないもんだなぁ。

しかし手紙を読みながら母を見た時、母は泣いていなかった。
もっと温かいエピソードがよかった?
もっとお母さんを讃えた方が良かった?
それとも悔し泣きがバレてる?
そもそも「泣く」私が嫌いな母だから泣いてる私に冷めたのか。

理由はわからないけど、私の勘はやはり当たっていた。
母はこういうの喜ばない。

求めてるはずなのに受け取らないんだよね。
だから誰も与えてくれなくて、他者への不満が渦巻いてる。

爆弾発言

さーて、花嫁の手紙が終わったらもうあとは何も心配はない!!
両親に花束渡してお開き、お客様をお見送りして終わりだ!

そう思っていたら落とし穴がありましたよ。。

両家の両親と揃って出口でお見送りをしていた時でした。
主人の上司がほろ酔いで登場。
祝辞の時は抑えていたであろう「叱責」が飛び出したのだ。

「資格のないお前はまだ一人前やないんやからな!
 いち早く試験合格せなあかんぞ!」
的なことを言い、
周りの同僚達が「まぁまぁ・・」となったその時・・・

「私もそう思ってたんです~~!」

なんと、その上司の叱責に飛びついて同調した人がいた。

 私の母である😱

「本当にそうですよね!
言っていただいてスッとしましたわー❤」

「私の理解者がいた♪」とばかりに同調する、無邪気とも言えるようなその姿にドン引きした。

え?
スッとしましたって言った??

あまりの予想外な展開に思考が止まる。
主人は怒りを堪えている様子だった。

父がそれとなく母を止めるが、意に介さないようだった。

義両親がすぐ隣にいる状況で、まさかこんな非常識な行動をするとは思わなかった。。

主人の上司を変わった人だと思っていたら、まさかの自分の母も変わった者同士で気が合うだなんて・・

でもなんだかそこで諦めがついた気がします。
普段は外面のいい母が、自分を理解してほしいがために非常識な姿を「公」に晒した。
周りを傷つけてでも、自分を優先する母を目の当たりにして、「この人とはこれで終わりにしよう」と思った。

結婚式のあと、お礼もかねて母に誕生日プレゼントを贈った。
和装に使える髪飾りを奮発した。
これは結構うれしかったらしく、母に贈ったものの中で一番喜んでいるのが手紙から感じられた。

奮発したのは、「これで最後」という気持ちがあったからだ。
もう関わらないようにしよう。
その後4年くらい実家には寄り付かなかったように思う。

ちなみに結婚式の翌年、主人は無事に資格試験合格しました。
(独学でこの短さはすごい)
でも、私の両親にはいまだに黙ってます。母は自分の手柄にしそうだから。

さて、結婚式というビッグイベントも終わり、ようやく悠々自適な夫婦二人の生活となりました。
しかし、私の健康の時限爆弾は刻一刻と爆発の時を迎えようとしていたのです・・

つづく



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