⑩母のヤバさ
結局入院する
日帰り手術を選択したのに、結局入院してしまった・・
入院は、こういう術後に何かあった時のためにあるんだと身をもって知った。
ICUからは翌日出て、大部屋が空いてなかったので個室があてがわれた。
幸い、出血量は輸血のギリギリ一歩手前だったので輸血はなし。
でも、極度の貧血だった。
結局、原因は鼻の奥からの太い血管からの出血だったようです。
レーザーとかで焼いて止血したとかだった気がします。(うろ覚え)
元凶となった日帰り手術の先生も、お見舞いに来てくれた。
一通りの謝罪もしてくれたが、自分の処置が原因だとかそういう話は一切しなかった。私もあの時つっこめばよかったけど、できなかったんだよなあ・・
手術の時は父が付き添っていたので、「御父上にも謝罪をしたい」と言っていたが、その後の通院では結局、そういう場を要求するようなことはして来なかった。
入院中、一番つらかったのは夜。
副鼻腔にパンパンにガーゼを詰めているので、鼻呼吸が一切できない。
だから夜中、口の中がカラッカラになって飛び起きる。
このカラカラ度合いが、尋常じゃない。
口から喉から、細胞が干からびるかと思った・・
鼻づまりの時もこんな酷い事にはならない。
副鼻腔という存在のありがたさを思い知った。
初めて母を客観視する
彼氏(のちの旦那)もお見舞いに来てくれた。
入院中って、誰かが来てくれるとすごく心強いよね。
少しずつ貧血も改善して動けるようになってきていた。
そして「個室は高いから、大部屋が空いてたら変えてもらいましょう」と母が言った。
そしてナースステーションで母は切り出した。
「大部屋空いてませんか?
この子ったら、一人きりは寂しいって言うんで~」
勿論、私はそんなこと一言も言ってない(笑)
でも母のそういう言動は日常だったので、私は全く違和感を感じなかった。
勝手に「ひとりが寂しい人」として認定され、いつものように
「アハハ・・・お願いします」
と話しを合わせた。
それを横で聞いていた彼氏が、あとからこそっと言ってきた。
「普通に個室高いから大部屋にしてくれって言えばよくない?」と。
うん・・
そうだわ・・
なんで私が勝手に使われた??
そしてなんで当たり前に受け入れた私???
30歳にして、母と自分のヤバさを初めて客観的に見た瞬間だった。
さて、入院やらバタバタしていたらあっと言う間に結納の日まであと数週間になっています。
お見舞いに来てくれた母に、
「結納は義母が洋服で来るらしいから、お母さんも着物じゃなくて洋服にしてくれる?」
と伝えたところ、サッと顔が曇って黙り込んだ・・
あ。やばいぞ、なんか地雷踏んだ。
今思えば母の中には完ぺきな理想があって、自分はその理想の中にいる人であり、それを崩す田舎者の存在が許せなかったんでしょう。
ちなみに、一週間ほどで無事に退院することができました。
母の理想
そう、母は結婚に関しては理想が高いというか固定観念がすごくて、私も彼氏ができる度にもめて大変でした。
付き合ってすぐにでも存在を言わないと「親に紹介できないようなやつと付き合っている」だとか、
私の部屋で彼氏と電話していると「昔は家の電話にかけてご両親に挨拶してようやく電話できたのに、こそこそ電話して、やましい事があるに違いない」とか、
何かにつけイチャモンが多かった・・
(あ、これらのイチャモンも当然メールで送られて来ます。勿論、長文で、、)
そういう親だということを主人に話すと、「隠れて付き合っているわけじゃないし、早いうちに挨拶するよ」と言ってくれ、早々に実家に来て挨拶してくれました。
確か付き合って4ヶ月くらいでしょうか。
そして、結婚を前提に付き合っていて、今後のスケジュールはこうこうで、と具体的な結婚までの予定まで話したのです。
確かそれが2015年春?
その年の秋には私が義実家に挨拶に行きました。
(これも「婚前旅行」なんて許したくなかったようだが、渋々OKをもらった)
そしてこの副鼻腔の手術が2016年1月末~2月初め。
結納は、義実家の農業や雪の関係で3月に。
入籍は4月末、結婚式は11月。
こうしてみると結構スピード婚ですね(^^;
このスケジュールをすっかり共有したつもりでいたのですが・・
母の脳内では書き換わっていました。
(まさかこんなとこでお得意の都合よく書き換えが発生するとは・・)
父は単身赴任だったので、父も母からの情報に染まっていました。
おかしな話だけど・・・
私の結婚の話は出したら「タブー」のような雰囲気が我が家にありました。
私はその雰囲気にのまれ、話を出すのにめちゃくちゃ勇気を出して、母の機嫌がよさそうな時を狙って狙って、少しずつ話をする、そんな感じでした・・
ある時、母の機嫌のよさそうな日を狙って
「入籍と引っ越しなんだけど、4月のこの日にしようと思う」と話しました。
👹
鬼の形相ってこういうことなんだ、というくらい目がつり上がり、とんでもない顔をした母がそこにはいた・・
あかん、やってもーた😨
意識が飛びかけた。
つづく
ここから、身体の不調の話というよりは精神的な疲労の話になっていくのですが、どうぞ読み物としてお付き合い下さい(笑)
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大阪市住吉区で、骨格から身体を整えるボディメイクのセラピストをしているYUKAです。
幼少期からの自分の身体への違和感や不調の歴史をnoteに綴っています。
この不調の歴史なくして、ただの会社員からボディメイクセラピストに転身する道は考えられません!
人一倍健康に憧れ続けた私だからこそ、骨格から身体を立て直す事の大切さを今実感しています。
普段はInstagramにて更新しています。
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