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もしかして風女(日記)

「台風の影響で気圧が乱れているから怪しいよ」という友人の意見に「大丈夫。私、雨女脱却したから」と答えた。西日本には季節外れの台風が大雨を降らせている。東京もこれから雨になる。
友人はどうだかと笑っていたけれど、最近の私はめっきり雨に降られることが減っていた。そのことに自分自身驚いてもいたし、半信半疑でもあった。

登山靴を新調に、神保町へ向かうその日も雨だった。
しかし、地下鉄から出ると止む、店に入ると降るを繰り返し、結局手に持つ傘を開くことは無かった。
これはつまりそういうことだ。雨女からの脱却だ。
ついにこの日が…そう思うとじわじわと喜びが湧き上がり、石井スポーツ登山本店の前で生まれたてのようにおぎゃーと泣き叫んでやろうかと思った(情緒)
そこでは何も買わなかったからやめておいたけれど、雨女からの脱却という太鼓判を、この日、私は神保町で貰ったんだ。

近くの個人店でそれぞれの登山靴について、十分過ぎる説明を受ける。
スポルティバを購入するつもりだったけれど、私には横幅が広いようで、結局はsarewaというイタリアの靴を買った。私は足首ぐにゃぐにゃ女であるから、とにかく固定。ハイカットでかつシンデレラフィットしてもらわないと岩場でなかなかキモい下山をしてしまう。別に30%offという札に惹かれた訳じゃない。
レジでどうして割引なのか問うと、sarewaは日本から撤退するのだという。
たった今お金を支払った靴の撤退を知り、何とも言えない感情になる。

出発の日は一睡も出来ずに車に乗り込んだ。
寝ないで登って大丈夫かな?悪いけどちょっと寝るねを繰り返し、結局一睡もしないまま目的地近辺。今回の登山は那須連山のうち、那須岳、朝日岳、三本槍岳の縦走。
山の天気予報、てんきとくらすの登山指数は相変わらずCだったけど、晴れている。星が物凄く大きい。フロントガラスの向こうの教科書のような北斗七星を前にわあわあと騒いで登山口に向かっていたら、風が吹き始めた。それも結構な突風で両サイドの木々がわっさわっさと揺れている。
友人が山のアプリを開き、風速を確かめる。風速17mとある。
駐車場に到着。ああ、これ17mどころじゃないや。だって車が横に揺れている。向かいに止まっている車たちも盛大に横に揺れて、まるでたった今担がれている神輿のよう。私こんなの見たことない。悪ノリが過ぎる。
一回出てみる?とヘッドライトを装着しドアをすり抜ける瞬間、風圧でドアに挟まれぬぉぉおおおとこじ開ける。立っていられない。今時、西川貴教だってこんなに風に吹かれない。
他の登山者から山頂の風速30mという情報を得て、ひとまず車内へ。無風の車内が温かい。30mて。
とりあえず野菜買いに行こうと道の駅へ下る。ローソンでホットコーヒーとおやつを買い、まだやっていない道の駅の駐車場で少しだけ仮眠をした。
それでも早めに起きてその辺を散策。よく晴れていて風もそんなに吹いていないのに、山頂にかかる雲はタイムラプスのように目まぐるしく流れている。
風に注意の山だということは知っていた。去年も風によって遭難事故が起きているし、登りやすい山だけど風には注意と事前情報で読んでいた。しかし、以前登った時もすごくお天気で良い山だったから、本当にそうなんだということを身をもって知る。
散歩しながらこの後の予定について話していると、何とも言えないオブジェのベンチに気付いておやっと思う。これは、もしかしてもしかすると。

おや? おやおや?
やはり‼︎

そうこうしているうちに開店時間がやってきて、しこたま野菜を買った。
安くて新鮮。こんなことですごく幸せになれる。お米も安かったから買いたかったけど、もう持てないなと思ってやめておいた。このことは帰ってからもずっと後悔している。
売店で腹ごしらえ。おばちゃんたちの作るものは何でも美味しい。

幸せの茶色い食卓。

お腹が満たされたら本気の睡魔がやってきて、日帰り温泉に向かう少しの道中、ぐらんぐらんに船を漕いだ。もう着くよと起こされるとすごく長い寝言を喋っていたようで、寝ぼけてると笑われて目覚める。
さっきまで寝ぼけていたくせに旅館の主人に今日の風やばいですねと話しかけ、風は止むのか情報を得ようとする。主人が今日みたいな日はダメだというから、本当に風の山なんですねと返すと、まさにそうなのだと語り始めた。それは去年、風で低体温になった4人が亡くなった事故のことと、アイゼンの練習に入った学生が亡くなったこと。全て地元の人なら山に入らない日、踏み入れない場所だったと。当日も登山者のことを山小屋の人はあんなに止めたのにって、心底悔しそうだった。
その話を聞きながら私の心もしぼんでいった。

登ってもいないのにお風呂、と思いながらもとろみのある温泉は温度も適温で気持ちがよく、気が付けば顔も頭も総洗いしていた。極楽極楽。
さっぱりして山へ。色々と順番がおかしい。
朝方よりも随分弱まっていそうに見えた風は、登山口に着くとやっぱりびゅんびゅん吹いていた。
行けるとこまで行って下山、今日はハイキングだと思おうと登り始めると、結構下りて来る登山者がいるので順々に話しかけていく。
「どこまで登られました?」の問いに、口を揃えて峰の茶屋跡避難小屋だという。それを越えると風がすごくて立っていられないとか、土が舞っちゃって目を開けていられないよとか。なるほど。それじゃあそこまで行って下山しようと決めた。
ほんの少しの登山だったけど、やっぱり登り始めると息が上がって身体が熱くなってくる。吹いている風の心地よさを感じる。次はどこに足を着こう、足もとになっている赤い実は何だろう、鳴いている鳥はどんな鳥だろうと、五感に飛び込んでくる情報だけに過敏になる。
普段は忘れてしまっている感覚を思い出して、この気持ちよさをそうだったこれだったと噛み締めた。

東京に帰る車内で、私なんかよりずっと山が好きな友人が楽しかったと言った。私も楽しかった。
ゴールにたどり着くことは目標ではあるけれど、それだけが山の楽しさではないということは知っていたはずなのに、人は忘れてしまうものなんだな。
道の駅で買った大量の野菜とザックを担いで「また行こうね」と言って別れた。袋が野菜の重さでメリメリといっている。
新しい登山靴にはまだ慣れないけど、自分らしい、良い一日だった。

でも、もしかすると風女になったのかもしれないという不安が、少しある。

駐車場からの朝日
以前、登った那須岳
この岩カッコいい
山頂付近は岩ゴロゴロ
がんばれ、がんガレ!
尖っているのが朝日岳
きれいだね。


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