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#27 ーうつ病みのうつ闇ー 闇の戦略…離間の計 その2

この闇の象徴(しょうちょう)は、もしかしたら、死んだ祖母ではないだろうか。繰り返し、祖母の影響が残っていることを、思い知らされる。

しかし、彼女は根っからの悪人ではない。料理が上手でよく気がつき、働き者だった。

ただ…何をしても不満な人だった。昭和初期にしては珍しく恋愛結婚して、新婚時代は仲が良かったらしいが、戦後の混乱期に夫は家族を捨てて、女の人と遠い地へ去った。

彼女の姉妹が、彼女のことを「あの子は赤ん坊の時から、不満が多かった」と言っていたが、そういう性格に夫が耐えかねたのか…それにしても、やって良いことと悪いことがある。

どうやら、祖母は夫を愛していたらしい。口には出さなかったが、戻ってくるのを待っていた節がある。その一途(いちず)さが、かえって彼女に大きな苦しみをもたらしたのだろう。 

愛する人の裏切り、戻らない人を待つ苦しみ、貧乏な生活、戦後の混乱期の男社会で、女手一つで6人の子供を育てるという苦労…もともと不満が多かった彼女の性格は、ますます歪(ゆが)んでいった。

私は従順な孫であり、可愛がられた。ただし、彼女のやり方で。何かをしても、しなくても、不満だった。家族を監視(かんし)して、思い通りにコントロールしなければ、気が済まなかった。

不満があれば、ヤクザ顔負けの汚い言葉で人を罵(ののし)り、幼児みたいに床に寝転がって、手足をバタバタさせ怒鳴(どな)った。

自分が言いたいことがあれば、相手が朝ご飯を食べている時だろうが、疲れて帰宅した玄関先だろうが、仁王立(におうだ)ちになって文句を言った。

優越感を得たいためか、よく人を悪く、自分より劣っているように言っていた。私も「足が太いと健康なはずなのに身体が弱くて困る」「そんなんじゃ、嫁に行き手がない」「やることがのろい」「不器用だ」「何をやっても満足にできない」等々、否定的なことを言われ続けた。

母は世間知らずで、よく言えば純粋。意地悪ではないが、まっすぐで感情的な人で、思ったことを相手かまわず言ってしまう。祖母ほどではないが、直情型(ちょくじょうがた)でよく似たところがあった。

姑と嫁は似ると言うが、誠に昔の人の言うことは、侮(あなど)れない。
 
私は、いつ起きるかわからない喧嘩(けんか)や罵声(ばせい)が嫌でたまらなかった。何とかそうならないように、大人の意向(いこう)を先読みしてご機嫌を取った。

自分の心を無視して、自分のしたいこともわからなくなるくらい、まさに滅私奉公(めっしぼうこう)し続けた。

そうしてすっかり心を明け渡し、空っぽになってしまった。完全に空っぽになっていれば、すぐに新しいものを入れることができる。

だが、常に送られてくる否定的なメッセージは、私の深いところまで刺さり込み、容易に抜けずに自分を形成する一部になって、新たなものを取り入れようとするときに、大きな障害物になってしまった。 

幼児期の家庭環境が、ほぼその後の人生を決めてしまう。人によって程度の差はあるし、そこを克服していく人もいるが、これは紛(まぎ)れもない事実だ。でも、それを確信してもなお、運命だと諦めたくはない。

幼少期の家庭環境という過去の結果として、その後の…今の自分がある。それなら今の考えと行動を変えることで、未来は変わるはずだ。

断崖絶壁(だんがいぜっぺき)を登るように困難でも、変えられる運命もある。それでなければ、なぜ生きるのか。変えられない運命を生かされるだけなら、生きる意味があるというのか…                  

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