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『小夏の青春』を上演する理由(その1)

2000年夏、私はTV画面に夢中だった
普段はうるさくなくセミの声すら耳に入らないほど
「ヤス、上がってこい、おまえは志半ばにして倒れた勤皇の志士だ。上がってこい、ヤス」
と手を差し伸べる銀ちゃん、なんてかっこういいのだろう。
その時のドキドキを胸にわたしは憧れの大都会東京へと向かった。スーツケース1つだけ手にして。

2004年春、たび重なる偶然が私をつかこうへい氏に出会わせた。
偶然もたび重なると必然になるのだと知った。
4月、★☆北区つかこうへい劇団に入団し、厳しい研究生時代を経て、翌年劇団員に昇格した。
1年間は新劇団員による顔見世公演があり、翌年2006年本公演『風を見た女』への出演が決まった。
これは、久しぶりの新作ということで、稽古場はピリピリしていた。
初めて口立ての洗礼を受けたわけだが、どういうわけか説明ができない熱いものが胸の内からこみあげてきて、
もう体中の汗といい涙といい、それ以外のこれまで出したこともないような、そう、名づけるなら「感情」というものが迸るのだった。
これは体験した人じゃないとわからない感覚かもしれない。
(私が上手く言葉にすることができないだけなのかもしれないが)

2008年秋、ひとり芝居ブームが訪れた。過去に三浦洋一さんや田中邦衛さんがやった『ヒモのはなし』を完全復活させた先輩である三浦裕介さん。
とても評判がよくその評判を耳にしたつか先生が「お前らも(ひとり芝居)やれ」と。
このように劇団公演はつるの一声ならぬつかの一声で決まることもしばしばあった。
当時、三浦さんの『ヒモのはなし』を復活させ、演出をしていた蓮見さんは、12期生のためのひとり芝居『ヒモのはなし』『ストリッパーのはなし』を手掛けることになるのだった。
7人7通りのひとり芝居を。

                その2へ続く

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