5本の指に入るってお墨付き
2006 年、2月某日
北区にある小学校の元音楽室だった場所は、
一瞬にして空気が研ぎ澄まされ、
ヘアピンが床に落ちた音すら室内に響いてきそうなほどの静けさと緊張感に包まれていた。
「風を見た女」の稽古初日である。
戯曲のタイトルははじめ「初級革命講座飛龍伝」だったのだが、それが前年の秋に「テロリストの朝」というタイトルに変更した台本になり、
そして、稽古直前、「風を見た女(ひと)」というタイトルになった。
その日稽古場に集まったのは、岩崎雄一さん、赤塚篤範さん、小川智之さん、そして私。
上演時には出演者はもっと増えたけれど、最初はこのメンバー+大石くん、倉本くん(2人は私と同期)だけだった。
つか先生が演出席に座っている稽古場は、これまで何度となく出入りしていた音楽室とはまったく異なる場所かと思うほど空気が違っていた。
間伐を入れずに稽古は始まった。
プリントアウトされた台本はあるにはあるのだが、この台本をたたき台にして、戯曲を作っていくので、稽古初日の緊張感は半端なかった。
迂闊なことを発言したら殺されるんじゃないかってほど。
後日おっしゃっていたのだが、
稽古場で、「よし!できた」と思うまでは
不安でしょうがないのだそうだ。
その責任感があれだけの緊張感と作品を作り出すらしい。
正直私は「逃げちゃだめだ」って何度も心の中で呟いてた。
稽古は、最初のシーンからやっていくのだが、3ページも進まないうちに、元の台本は跡形もなくなくなった。
あ、嘘、ところどころ残骸が残ってた。3行とか。
一応プリントアウトされた台本が手元にあるのだから、変わってゆくシーンの変更箇所はその場に出ていない大石くんか倉本くんが手書きで書き加えてくれたら楽だったのにと思ってたけど、
彼らは、後で出演者が困らないように台本を記録しておいてあげるなんてこと思いつきもしなかったらしくて、食い入るように見てただけで、
基本的に私が出演していないシーンは、私がパソコンに変更のセリフを入力しているのだが、
この稽古場では、私は、ほとんどのシーンに出演しているので、パソコンの前に座りようがない。
仕方がないから自分のセリフと相手のセリフを全部覚えて、そのシーンが終わって次のシーンにうつるかと各々のが準備をしている隙を狙って、一気にパソコンに打ち出すという離れ業を密かにやっていた。
そうしないと台本が残らないから後々みんなが困ることになるんだよ。
特に私が色々な意味で困ったことになるんだよ。
このことはばれてないと思ってたけど、実はばれてた。
後々つか先生にこのことを指して
「お前、記憶力いいなぁ。俺の知ってる中で5本の指に入るくらいだ」と言われたから。
こっちはクビにならないように必死だっただけなんだけど。