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わたしの好きなものもの・9
エピソード9
GO!GO!7188
大好きなのに触れることができなくなってしまったものはあるだろうか。
わたしにとってのそれは、GO!GO!7188、厳密に言えばGO!GO!7188のアルバム『パレード』だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1679038399478-Gupk9k2WO4.jpg)
GO!GO!7188というのはスリーピースロックバンドで、調べたら解散が2012年とのことだから、そうか、解散してからもうそんなに経っているのか。はじめて『ジェットにんぢん』を聴いた時の衝撃はものすごかった。ジェットにんぢんとは。悩んだ。ジェット、にんぢん。わからない。わからないのだけれど、そのわからなさと耳ざわりのよいメロディーがクセになって、繰り返し聴いた。『こいのうた』はカラオケの定番になったし、和製ロックの『浮舟』にはしびれた。塾講時代、夏季講習に出かけるときは毎年『真夏のダンスホール』を聴いて気分を盛り上げるのが決まりだった。そう考えると、先日書いたラルクよりも、わたしのGO!GO!熱はずっと長引いていることになる。だってこの熱は、いまでも冷め切ってはいない。
しかし一番好きで、一番聴き込んだアルバム『パレード』は、いまでもほとんど聴くことができない。
父が最後の入院をしたのが10月のこと。年は越せないと言われていたが、父はわりと元気に新年を迎え、約半年間入院したのち、桜とともに散った。その半年のあいだ、家から車で1時間強離れた病院まで、わたしたち家族はほぼ毎日父に会いに行った。そのときによく聴いていたのがGO!GO!の『パレード』であり、エルレの『ELEVEN FIRE CRACKERS』だった。
GO!GO!の曲はくだんの『ジェットにんぢん』だとか『めみみはなくち』『とかげ3号』『あしのけ』など、コミカルな曲も多いのだけれど、おかしな曲で中和しないと聴く方の心がどうかしてしまうほどシリアスで切なくて核心をつく曲も多い。懐かしさと新しさが、洋と和が融合したメロディーに、ユウのやや舌足らずな高音とアッコの骨太なベースが絡まり、それをターキーのドラムが支える。なんてわかったふうなことを書いているけれど、こと音楽に関して、わたしは本当になんにもわからない。好きか、そうでないか、それだけ。そしてGO!GO!はわたしの好きメーターを振り切って破壊した、それだけ。
実を言うと、いまこれを書きながら、勇気を出して数年ぶりに『パレード』を聴いてみている。やはり良い。「憧れはどこだ あの日夢みた自分はどこだ?」というのは、いまでもわたしの心の名言集のトップを飾っている。わたしが日めくりカレンダーを作るなら元日に入れる名言はこれに決まりだ。「不安の引き出しは満杯」これはTシャツにしよう。「バスに揺られ流れる窓の外指さして 誰かが何かを伝えようとしている 急に君に会いたくなった」こういう感覚、もう何年味わっていないだろうか。
GO!GO!は、『パレード』は、やっぱり最高だった。でもやはり、少し切ないメロディーと「喪失」を連想させる歌詞がいまのこの季節と重なって、どうしたって心は病院へ向かうときの重苦しい空気と、病院から帰るときのさらに重苦しい空気に支配されてしまう。精一杯明るくしようとするわたしたち。精一杯元気にふるまおうとする父。カウントダウンに入っていることはお互いにわかっているのに、針の音をかき消すように笑いあった日々。あの年の今日、父はたしかに笑っていた。1か月後には思い出になっていた。そういう記憶が溢れ出す。
父が亡くなったとき、わたしはあまり泣かなかった。ある程度覚悟はできていたし、父はもう半年間不在だったわけで、ずっとどこかに出かけているような感覚、そのうちふらっと帰ってくるだろうという感覚、感覚というより確信が拭えなかった。心をえぐるのは死そのものよりも、そこに至るまでの本当に些細な出来事。そしてそういう些細な出来事のうしろで必ずと言っていいほど流れていたのがこの『パレード』だった。『パレード』は父の死ではなく、不安と悲しみに続いている。
ちなみに、GO!GO!で好きな曲は「赤いソファー」「神様のヒマ潰し」「こいのうた」「ドタン場でキャンセル」、それから「赤い月に吠える」も好きだな。あと「文具」。あ、「バラード」も。GO!GO!が歌う「深夜高速」も最高だしそれから……だめだきりがない。