わたしの好きなものもの・10
エピソード10
雨
雨が好きだ。
雪に変わる一歩手前の冷たい雨も好きだし、夏の容赦ない日差しがありがたいものに思えるように前もってしつこく降る梅雨も好き。暑い空気を洗い流してくれる夕立も、秋雨の物悲しさもいい。傘に当たる雨音はずっと聴いていたいし、車のなかから見る雨粒は最高に美しい。
なかでも一番好きなのは、春のあたたかい雨だ。
春はあまり好きではない。冬が終わって嬉しいでしょう? と恩着せがましい感じがするという、春からしてみれば言いがかりもいいところなひねくれた理由もあるけれど、わたしにとって春は悲しみに直結する思い出が多い季節でもあり、どうしたって気分は鬱々としてしまう。ただでさえ春は気分が乱高下しがちな季節だ。やさぐれたときに冷たい雨に打たれれば、さすがのわたしだって生まれてすみませんくらいの気持ちになってしまう。でも、春の雨はあたたかい。太宰化しそうになっているわたしをやさしく包み込んで、どす黒い感情をあたたかく洗い流し、落ち込んだりもしたけれどわたしは元気ですなんて、赤いリボンでもつけたくなるような気分にしてくれる。よく励ましのフレーズとして「止まない雨はない」なんて言い方をするけれど、わたしにとっては「晴れの日ばかりが続くわけではない」というほうがよほどポジティブな意味に捉えることができる。晴れた日だって気持ちのいい気候の日だって生きていれば心はべたつく。明るいところにばかりいては目だって疲れる。そういった汚れを洗い流し、目を休ませてくれる雨の日は、わたしにとっては人生の貴重な踊り場なのだ。
しかしここ数年、天候が変わってきた。空梅雨が続いたかと思えば屋根を突き破るのではないかというほどの雨音に怯えることも珍しいことではなくなった。夕立という言葉もゲリラ豪雨などという風情のかけらもない言葉に取って代わられた。止まない雨はないという言葉を文字どおりの意味で支えにして、不安な日々を過ごす人々が毎年大勢いる。雨が好きだと言うのがはばかられるようになってしまった。
今日は一日空がどんよりとしている。これから数日は雨が続くという予報だ。願わくば、あたたかく、やさしい雨であってほしい。毎日せわしなく動くわたしたちの足を止め、心の汚れを洗い流し、また明日から頑張んなさいと背中を押してくれるような、そんなわたしの大好きな春の雨であってほしい。
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