「書きたいが書けるに変わる創作講座」第6回より
「書きたいが書けるに変わる創作講座」
第6回目に参加してきました。(あと6回)
今回は第二作目の「プロット」提出への
FBを講師よりいただきました。
とその前に、第一作目で「TSUTAYA miraiz店店長賞」を受賞された同じく受講生の方からの
ミニ公演のお話、至極の言葉の数々に胸を打たれたのでご紹介。
空手道場の先生&自己啓発のメッセージを
発信されていたそうですが、ふと、
このように思われたそう。
noteを普段書いていて、ああ、
仕事や家庭で言えない言ってないことを
書けている爽快感のようなものはありますが、
たしかに、
「本当に自分が思ってることか?」
という素朴な疑問を忘れます。
毎日書くことが、息するように習慣になった時
息することがあまりに無意識で。
書くことが目的になったとき、
「本当に思ってることのレベル感」が、
「そこそこである自己満足」になります。
誰に言われるでもなく自ら立ち止まり、
10歩下がって100歩進むような、
生き方が格好いいです。
それはまた簡単なことではないから。
人に何かを伝える、それを持って、
何かの変化のきっかけにしてほしい。
と、主張していくのはごく自然ですが、
またこうして立ち止まることに惚れます。
自分を知らずに伝えるのと
自分を知って伝えるのとで変わるのは、
「てにをは」だと思ったんです。
「私が」「私も」「あなたと」「あなたが」
ちょっとしたニュアンスの出力と
相手の入力が変わる。
自分に向き合うのは、怖い。
何十年と隠してきたんだもん。
訳あって、隠してきたし、
言う必要もなかったんだもん。
でもそれと向き合って、あえて出力する時って
「自分を変えたい時」というよりも、
「自分に違和感がある時」かもしれない。
死んだふり。
ああ、あります。
この「ふり」ってのが好きです。
虫や動物たちもよく「死んだふり」をします。
それは、敵を欺き、命を守るために。
私たちが「死んだふり」をするのは、
自分欺き、本当の自分を守るため。
「そういえば、
ふりをしてること、何だろう?」
は、自分やあるいは誰かとの関係において、
きっとあって、きっとチャンス。
自らを変えようとするときほど、
流れに任せたい。
言葉を持っている人ほど、
経験と内省が深く、そしてしなやかで優しい
顔をしている。
言葉の一つ一つに、
自分の人生を顧みる勇気をもらいました。
そんな方から
mae3のnoteを見て「語彙力」を
褒めていただいてめちゃくちゃ嬉しかった
です。ありがとうございます!
さてようやく、ここから講師のお話より。
「書きたいが書けるに変わる」創作のための
言葉。
書くモチベーションは、
やっぱり読んでもらえるからこそ。
活字はまさに活き活かされる文字。
エッセイや小説を書いているある期間に起きる
偶然の出来事は、書いていなければ
起きなかったと思えるほど、奇跡が起きる。
その風も土も光も、ちょっとした人と人の
交わりや会話もすべて、
作用していくから不思議。
作用させようとしないほど、偶然が起き、
作用していく。
書いているから、起きる。気付く。
思考を表現することより、
その過程を表現する。
された方が、読む方は面白い。
今回はエッセイでなく小説に挑戦、
したことで、見えた世界。
登場人物のディテールは説明しちゃいけない。
登場人物の仕草ひとつ、語り口一つ、
風景描写でもって語らせる醍醐味。
ある方のプロットに、ざわっとした。
この感触が実に面白い。
それは、非日常。
1分を、10000字で書くこともきっとできる。
短編小説だからこその、魅力。
コウモリのように、飛んで書く。
うん、わかるようでわかってないけど笑
直接的ではなく、間接の間接でいく。
、、、、、わたしのプロットへの講評
これだけだとわからないと思いますが笑
メモです。作品の完成をご期待ください。
「白と黒のあいだのあいまいさを認められる
自分と社会」になってほしいです。
きょうもお読みくださりありがとうございます
スタバの看板の横に、ちょこんと
本講座 書店ゲーム の看板が!
noteをお読みくださっている仲間が
いてくださることもまた嬉しい、第6回。
たくさんの方に手に取ってもらえるよう
運営の皆さん、関大生の皆さんが
創意工夫くださっていることにも感謝です