主張するのが苦手だけど
アサーティブ、にしても、
ナラティブ、にしても、
わりと身近な、ポジティブ、にしても、
「ティブ」なこと
(他にも色々あるけど、とくに〇〇ティブ)
「輸入された言葉。カタカナ」には
それが何者であるか?を考えたり調べたり
するまえに拒否反応のようなものが出ちゃう。
のは勿体無いなあ、と常々思いながら、
わたしもその一人。冷静に考えると
「日本語にはしっくりくる」言葉がなくて
だからなんだかモヤッとするだけかも。
あとは、「意味わからん(わかってない)
言葉を安易に使うな!」と上司に言われた経験
なだけだったりする。
なので、ありがたく受け取っておいて、
さらっと
「知ってみる、使ってみる初動、所作」を
してみたらいいんだなあと思う。
そして、それがしっくりくる時は
求めてる時なので、それでいいんじゃないかと
今の自分には、しっくりきたんです。
主張したいけど、主張できなくて、袋小路。
かといって主張だけしたいわけじゃなくて、
固執したいわけでもなくて、でも、
通したいことがあるというなんともワガママな
状態にあるので、取り入れたいというのが、
たまたま今きたんですね。
5年前くらいに聞いた時はフーン、だったのが
必要とする時を迎えるという成長なのかも、
しれません。
「相手の迷惑やデメリットを小さくするため」
というのが、ハッとします。
主張というと、自分のゴールしか気にしてない
のがなんだか嫌悪していた理由なんですが、
「そうしたら、こんなことで、困るかも」
な目線から言えば、「しいて」NOというのも
さほど勇気いらずサラッと言えそうな気になる
決してそれで、デメリットを全消しするわけ
でもないんですね。
「小さくなるかもよ」ということを、
知らせるためであれば、言った責任も、
大きくとらねばと思う必要はない。
冒頭にもありましたが、
気持ちよく一緒にすごすため。
YES YESでは、こっちは気持ちよくない。
狭い町の中でお互い気持ちよく過ごすため。
NO NO NOでも気持ちよくないし、
YESとNOが、自分と相手、
自分と自分の中で同居して、発せればいい。
本気じゃない相互尊重ってどんなだろう。
社交辞令、過度な気遣い。自分をころすこと。
尊重するって、重ねることなんですね。
重ね合おうよ、って。
「欧米か」ってこともない。
「横柄か」ってこともない。
踏み込んでみないとわからない世界で、
踏み込むということ自体が、もしかしたら
相手を尊重することになるんだろうと思う。
踏み込まないことは、相手の存在を
認めてないことにも通じる
(感じられてしまう)
と、ゆい聞かせて、やってみます明日。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます
きょうよかったこと3つ
・下向くことが多かったきょう、下を向いたら上を見る、という所作をやってみた!ら、ちょっとまし(引きづらない)
・カタカナ語を受け入れたら、そんな拒否するものでもなかった
・おにぎり二つ、昼に食べてたのを一つに我慢した、という意思のかち!(三連休で太ったので、、)