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一人称で変わる文体と人格


一人称・読者の設定
だれが書くか。だれに書くか。

「おれ」か「わたし」かー自分とはだれか
文章は、だれが書くか。
「自分に決まっているだろう!」と条件反射する人は、少し落ち着きましょう。そもそも文章を書くという営みは、「〇〇に決まっているだろう!」というおっさんくさい断定を覆すこと、ひびを入れることです。ものを書くとは、世界に風を吹き込むことです。

「三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾」
近藤康太郎さん


きょうは、どの自分で、書いている?
ってのは、書いてると気づかないです。
たぶん、無意識に使いわけてるんです。

自分を意識するときに、「一人称」を
意識するだけで、新しい自分に出会えそうです

ものを書くことは、世界に風を吹き込むこと。
なにもまだ吹き込んでないけど、
そのことを強く思います。

それに、自分自身に風を吹き込むのが、
書くということだなあと、つくづく。


一人称のバリエーションが豊富なのは、日本語の特性です。思いつくだけで、僕、ぼく、ボク、私、わたし、俺、おれ。「筆者は・・・・・」「自分は••••・」という一人称もあります。まれに、わたくし、あたし、あたい、おいら、わし、小生…・・・・。

同上


小学生くらいまでは、
親に呼ばれる名前で、自分のことを
一人称で語ります(例 まあくん)

やがて、それが恥ずかしいことに思えて、
おれ、とイキってみたり。
行きすぎて僕に変えて。
社会人になると、私だし。
でも友人の前では俺だし。
親の前では、またそれが変わったりして。

これが、話し言葉の時と、
書き言葉になるとまた違ってまた面白い。

そしてまた相手によっても、
変わり続けるもの。


あえて一人称を書かない新聞記者やルポライターもいます。記者は、事実の前に謙虚であるべきだ、主観を排するべきだということなんでしょうが、一人称を絶対に書かないと決めている文章を読むと、かえって記者の存在が鼻につくように思えます。
不在が、存在を強調するんです。

同上


不在が、存在を強調する。

わたしは臆病なので、
集団で声を発しない、
広い部屋では隅っこに座る、
集団下校は1番後ろ。

それって、姿を消しているようで、
実は、主張していたことに気づく。

ここにいるよ、と知らせたい。

ちょっと格好わるい、今思うと。

不は有の裏返し。

一人称の使い方によって、
その存在を大きくも小さくもする。
一人称は、生き方になる。


わたしの場合、四十歳に近づいて、「僕」を避ける理由が、身体的によく理解できるようになりました。ある本を出版するのを機に、「僕」は一切、やめました。
そうすると、不思議なことが起きた。一人称を変えただけなのに、文体が変わったのです。「僕」なら平仄(ひょうそく)の合っていた語尾が、とたんに調子が悪くなる。そして語尾を変えると、文章全体のリズムも変わります。

同上


一人称は、文体をも変える。

生き方は、文体に現れる。というような
ことを教わって書いたことがあります。


文体、っていう言葉自体が新鮮で、
そんなこと学校で教わらないし、
好きな本を読んでる時も知らないうちに、
ハマってるものであってあまり意識しないけど

文の体。
書くことは、身体的な運動だし、
それの主体は自分だから、
一人称は、とっても大事。

人に支持されて、手足を動かすのではなくて、
自らの意思で、ある一人称が、
指先を動かす。と、文が動く。


なにも同時に使い分けろというのではない。年代によって、変えていく。「僕」という一人称を使っていた時代に持っていた世界観を、捨てるわけではないんです。「僕」の世界観に、「おれ」の世界観、「わたし」の世界観が足されていく。人格のレイヤー(層)が、厚くなる。バージョンアップするのではない。かってのOSも、たいせつにもっておく。イメージとしては、そういうことです。

同上

ORでなくて、ANDでいいんですね。
ホッとします。
たいせつにとっておきたい、自分の呼び名。

文体は、人格。

そして人格は、何人あってもいいんだよ。

文章は、人格も変えるんです。思考、感情、判断を変える。人生を変える。人間が発明したもののなかで、言語こそが、もっとも創造的であり、破壊的でもあり、人間の考えを縛り、同時に自由にするシステムです。だからこそ、文章を書くとは、おもしろく、深く、そら恐ろしい所業でもあるんです。

同上


変えるのではなく、変わる方法が
書くことであり、一人称の使い分けであり、
わたしも、おれも、あたいも、まあくんも、
生かして生きてゆく。
自分を好きでいられそうだ。

生まれ変わるなら、生きてるうちに。

今日もお付き合いくださり
ありがとうございます

中秋の名月の翌日が満月で、
魚の目のようでした。

魚のような、流れを追う目で、見つめてみる。

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