「文章を書くことの、最初であり、最後」
ん?わかりません。
どういうこと!ってなりました。
つまり、全てということでしょうか。
自分だけの言葉とは、何か。
それは、他人との差分ではなく、
時と場所の違いによる違い。
同じ自分が、同じ空を見たとしても、
きのうときょうで、どう違うのか。
平日の空と、土日の空はなぜ違うのか。
伝えたい熱量をどれだけ違えるのか。
だなんて、自分が一番わかってなくて、
自分が言葉にできてなかったな。
無意識が過ぎました。
見えてないのではなく、
見ようとしてなかったし、
見ようとするだけでも、言葉が変わる。
どれだけ読者にわかってもらおうという、
気概をもてていたか?
それが、自分との差分。
常套句まみれの文章だったなあ。
そんなこと書くと、読んでいただいたときに
常套句アゲイン!となって読み進めてもらえないこと覚悟で、自白します。
で、そこからが出発点。
なぜ、冒頭の写真の空が美しいと感じたのか?
竹やぶと、木が混ざってる先にある太陽は、
光の差す隙間が、竹だけ木だけよりも
歪(いびつ)で、不揃いだから、美しく見えた
んです。
あ、そういえば、
「言わなくてもわかる」だろうというエゴ
だったな。というのと、
「言いたいことを言う」エゴでええやん。
と、気づきました。
いままで逃げてました。
言葉にならないと言うこと自体が美しいと。
われと我が身を差し出してみました。
捨て身の方が、美しい。
生きにくくしていました。
自分を、世を。自白します。
プロではないけど、世に出すのなら、
世の風向きを少しでも変えたい。
ならば、常套句を、変えてみる工夫を。
今日もお読みいただきありがとうございます。
写真には映らない言葉を書いてゆきたいです。