「また行きたい場所」と「また会いたい人」
noteを書き始めて来週でまる一年。
「毎日書く」ことを自分に課したこともあり、
書くためのアンテナは、本や、日常や、生活に
それ以前より感度高くなりました。
特に、旅。旅先。
旅行先は、感度が倍あがります。
あの感じはなんなんでしょうね、不思議です。
で、読み方が変わったのが飛行機の機内誌。
スマホが使えない機内はとかく手持ち無沙汰に
なりがちなので、機内誌に頼りますが、
これがまた「読む」体ではなく、
「書く」つもりで読むので、味わいが変わります
スカイマーク機内誌
「空の足跡」12月神戸のなかにある旅エッセイ
「ユウキがいく。。」より。
↓今度エッセイ本になるそうです。
テーマ「また行きたい場所」
あんまり考えたことなかったけど、
「また行きたい」「何度でも行きたい」も
違いますねたしかに。
「また」には、非日常な刺激を含み、
「何度でも」には、安心感や安堵感が包む。
また会いたい人 というのと
何度でも会いたい人 との違いに似ている
かもしれない。
一緒に住みたい人 となればまた大きく
また、や、何度でも、とも異なってくる。
そこに「距離感」が加わることもまた面白い。
「また」行きたいところは、近すぎると
そのありがたみや、刺激は薄くなる。
ある程度距離があり、
「行きたくても行けない」
「会いたくても会えない」ところに、
行きたい欲が生まれるように、
愛が育まれるように、
非日常だからこその快がある。
サファリは、危険だし、環境も安心でない
イメージがあったけれどそうではないんですね
「また行きたい」場所には、
イメージと違ってギャップ萌えするような
ところがあって思いがけない出会いや発見を
含む。
想像を超えるから非日常なんだろう。
それは一度目と二度目でも差がある。
「また聴きたい曲」
「また読みたい本」は
一度目と二度目とで味わいが変わるように。
無駄に食べないことが、身体を引き締める、
美しい身体をつくる。
動物園の動物たちの姿や匂いとの違いが、
「本当の自然」との違いに現れてくるなんて、
きっと現地に行かないと見えてこない。
そして、一度では気づかない美しさや背景にも
二度三度「また」行くことで気づけるんだろう
「また会いたい人」は、会うほどにその人の魅力
を感じられてくるのと似ている。
「生きる」ということを教えてくれる
だけでなく
「無条件で」教えてくれるのだからすごい。
「また会いたい」人もまた、無条件だ。
そこに利害はない。
「また」会うことで、前回から今回のあいだに
生きた証を確認し合うような時間もまた尊い。
その人が教えてくれることでもあり、
ふたりのあいだにある、空気や時間が、
教えてくれることでもある。
自由だ。
だけど、メスライオン側からすれば、
自分たちはいつもどおりしているだけで、
人間側がまあ、自由にしてくるよなあ、
と思ってるかもしれない。
自由はいつも堂々としている。
「また」行きたい場所や会いたい人は
どこか緊張感がある。
「何度も」行きたい場所や会いたい人は
自由だ。「まあゆっくりしていきな」感。
Take your time.
真に強いものは、強さを誇示する必要がない。
強さを誇示する文章は、どこか弱さを含む。
敵とも、障害物とも思ってない文章は、
堂々としている。
君臨していると言うおこがましさも、
もはや滲み出す必要もないくらいに。
何度でも読みたい文章は、そういうもの
かもしれない。
呼吸も、まばたきも忘れるような、
また行きたい場所を探すこと自体が、
生きる目的であり生きることそのもの
かもしれない。
そのためにも、何度でも行きたい場所、
会いたい人、住みたい日常も欠かせないん
だろうなあ。
旅も本も、読むことも書くことも、生きること
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。
今日の本心
どこか遠くにいきたいなあ。