息のいい文章。
「うまくなりたい」と思うけど、
「よく書きたい」と思ったことはない。
ただ、どちらも、独り善がりでもある。
「うまいなぁ、この文章」
というのよりも、
「いいなぁ、この文章」
の方が嬉しい。
うまい→テクニックに感嘆
いい →にじみ出る余韻を味わう
自分は後者かな。
そのためのテクニックも必要だけど、
そう考えると
うまい→プロセス
いい →結果
とも見える。
「主体の感情、判断、思想。」
届け先ではなく、送り主の方が気になった。
書き手が文章に載せたいのは、
テクニカルな感情表現より、
すなおで、わかりやすい感情を。
ロジカルにうまい判断より、
ストーリーのある面白い判断を。
うまい思想ー。借りてきた著名な思想より、
独自の視点からくるオリジナルの思想を。
載せたいし、読みたい。
「読みたいことを、書けばいい。」
とげ、
詰まり
重み
のない文章。
「徳のある文章とは?」とまた変奏しそうだが
徳とは、かっこいいもんではなく、
飾らないその人の人となり。と思う。
そういうのって、にじみ出るんですよね。
顔を合わしてなくても。
ふくらみってかわいいですよね。
続きを読む前に、
想像するとしたら、
風船にたとえると、
風船を膨らませるには
空気が必要で、
その息をおもいっきりふいたり。
ふきつかれて、息を大きく吸い込むような、
その一連の呼吸を「させてくれる」ような、
一緒に呼吸を、読者と筆者がしてるような、
「ふくらませる文章」ではないかと。
切れ味の鋭いうまい文章は、
読者を置き去りにする。
勉強にはなる。
快感にはなりづらい。
「読んでいることさえ意識しない」
本、文章ってありますね。
息をするのを忘れるくらい。
(さっきと矛盾しますが)
著者や、物語の主人公に
憑依しているようなとき、
すべってる。
はじめてのエッセイ作品第二稿をおえて、
自分の文章に対して、
校正というものを生まれて初めてしています。
まあ、これが詰まる詰まる。
赤入れだらけの、ふんづまり。
noteと、一冊の本を書くのもまた、
ぜんぜんちがっていて、面白いです。
自分自身に対しても、
まだまだふくらむ余白がある、
ということで、
自分と自分が息し合うような、
書く暮らしをもう少し楽しみます。
今日もお読みいただきありがとうございます
きょうは、兄妹が雲の中を歩いてる
空でした。
青と白。息があいます。