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「人生の意味」行動すると意味が後からついてくる。

人間は意味の領域に生きている。われわれは状況をそれ自体として経験することはない。いつも人間にとって意味があるものだけを経験するのである。

「人生の意味の心理学 上」
アルフレッド・アドラー 岸見一郎訳

ちょっとすぐよく掴めなかったのですが、
考えてみると、

経験は経験でしかなくて、
それにどんな意味をつけるか?は人間。自分。


すべての経験に意味がある、ということとも
違っていて、
「どんな経験も、意味があるものしか
 経験しない」と思うと、また見える世界が
変わります。

意味のないものは経験しない、と。

人間は意味を離れて生きることはできない。われわれは現実を常にわれわれがそれに与える意味を通じて体験するのである。つまり、現実をそれ自体として体験するのではなく、何か解釈されたものとして体験するのである。それゆえ、この意味は、常に多かれ少なかれ、未完成、あるいは、不完全であり、それが完全に正しいということはありえない、と結論づけるのは当然である。

同上

完成された経験はなくて、
未完成で不完全。

たとえば仕事で小さなミスをしたとして、
めちゃくちゃ凹んだとする。
「自分はダメだ、変わらなきゃ」
と思う経験をしたとする。

ミスしたことも
凹んだことも
ダメだと思うことも

完全ではなくて、すでにもう解釈混じりなんだ
正解でもないんだ。

これはミスというのか
これは凹むより生かす意味はないのか
ダメじゃない。いけてたこともある。

一年前と比べてどうか?
ふとたちどまって考えた自分も成長?
人から見たらこれってどうなん?など。

若者が一老人もだが一時として「でも、なぜ生きるのか。生きることの意味は何か」とたずねるだろう。しかし、こんな質問をするのは、何かでつまずいた時だけだといっていい。何もかもうまくいっていて、難しい問題にぶつかっていなければ、そのような問いが口にされることはない。むしろ、人がこのようなことを問い、それに答えるのは、行動においてである。

同上

行動において、でしかない。
さいきん、行動ってすごいと思う。
すごいというのは、思考や感情に左右されると
思ってた行動も実は、
行動が思考や感情、さらには人生の意味さえ
左右するという順番がイレコであるという。
行動という意味のすごさなんです。

言葉に耳を閉ざし、行動を観察することにだけ集中すれば、人が固有の個人的な「人生の意味」を持っていて、意見、態度、動き、表現、癖、野心、習慣、性格特性のすべてが、この意味に一致していることがわかるだろう。人はあたかも人生についてのある理解に頼れるかのようにふるまう。その行動のすべてにおいて、世界と自分自身についての暗黙の意味づけ、つまり、「私はこのようであり、宇宙はこのようである」という判断があり、自分自身と人生に与えられる意味がある。

同上

行動すると、すべてが経験になる。
思考だけでは経験にならない。

行動すると意味が後から追いかけてきて、
その意味もまた行動によって変わる。

ミスしてガッツポーズ。
(してる場合ちゃうやろ!もあるけど)

凹んだら、元気の出る画像を見る。

ダメだと思った瞬間に、
「よいこと」をスマホにメモする。

意味が変わる行動という仕組み化をしておく。

すべての真の「人生の意味」の印は、それが共通の意味を持っているということである。他の人が共有できる意味であり、他の人が受け入れることができる意味である。人生の諸問題への妥当な解決は、他者に対しても常に、手本になるだろう。なぜなら、そこにわれわれは共通の問題が成功した仕方で対処されているのを見るからである。天才ですら最高の有用性にすぎないと定義できる。

同上

その意味が、自分だけのものではなく、
みんなのものになったら、いいな。
いやみんなのものにしていく。

自己憐憫だけでは、自分のものにしかならない

そんなことを、尊敬する大先輩と、
「嫌われる勇気」の書籍を題材に
おはなししてたくさんの気づきをもらったので
きょうからは、
きょうのよかったこと3つを書いて、
おわります。

・いまこうして、よかったことをメモるという行動をはじめたこと
・金木犀のそばをとおって秋を感じる余裕がある自分がいたこと
・ずっとやろうとおもってた中学受験塾への個別相談を先延ばしにせずできたこと

今日もお付き合いくださり
ありがとうございます

季節外れの台風も、金木犀も、
そこで経験することに、意味があるんだなあ



きょうの3つの良かったこと




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