書くことは好き。話すことは苦手。と思ってたけど、話すこともがんばるには。
自分は意見を通したいと強引に行けない
ところがあるので、押されると引きます。
で、我慢しちゃうんですよね。
最近は、「アサーティブ」を意識するので、
相手を尊重しようとがんばるんですが、
そうすると感情的に反発心が出ます 笑
紛糾してもよいことがない。
「言葉のトゲを抜く」発想もなるほどっと
思いましたが、抜くためには、
「言い換える」ってことがまたなるほどなと
思いました。
すり替える、でも、
受け流す、でも、ないんですね。
受け止めて相手を尊重しつつ、
変換するだけと。
意味がないんだよねと言われたら、
これこれこういう意味がありますよ!!
と言いたくなるし。
無駄と言われたら、無駄じゃない!!
と言いたくなる笑
それこそ、意味ないとか無駄とかが、
「トゲ」だから痛いんです。
「言い換える」ためには、
「同じ言葉を反復して応酬しない」こと。
「まあ、そういう言い方をすれば、そやな」
という納得感を含みながらも、前進できる。
振りかざした刀は自分で収めてよ。
と思ってしまいますが、鞘に収めてあげる。
攻撃がそれ以上できない状態に
自然に持っていく。
前提に、アグレッシブな人を
アグレッシブじゃなくすることは
相当に大変で、「人を変える」ことよりも
「自分のリアクションと言葉を変える」
ことの方が、労とエネルギーは、
少ないのかなと思います。
またそれはその人を見捨てるわけでもなく、
刀が振りかざされる前に、収めるという、
共同作業であり、尊重。
相手の言葉を、言葉でも刀でもなく、
「職務」として受け止めるという発想もまた、
面白いです。
大事なところを見逃さないために、
余計なことは、そぎおとす。
遠ざけなくていいんですね。
まるで、柔よく剛を制す。
これもまた力まずに、力点をちょっとずらす。
いつも、力には力で押し返そうとして、
(チカラ=言葉の強さもないのに)
やられちゃってたなあと笑
なんだか、仲良くなることが主だったような
気がします。
仲良くなることで、うまくいくという、
人付き合いの、私の壮大な仮説は、
うちくだかれました笑
しんどくなるくらいなら、➕αくらいに
思っておけばよくって、ってことで。
ああ、なんて自分でじぶんを生きづらくさせてたのか!と思います。
位置関係は、相手とのこともあるけれど、
自分自身との距離の取り方でもあるのですね。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。
きょうのよかったこと3つ。
・ああ、最近は、「話すこと」に意識むいてるな、とnote書いてて気づいたこと。その前は、本を書く創作講座にもでているし、「書くこと」ばかり書いてたなあと。いう変化に気づけたこと。
・話すことは苦手なこと、って決めてたけど、いまがんばってる、がんばれてるとしたら、そうでとないかもなあ、と思えたこと。
・けどこうして書いていることで、メタ認知、できるこのnoteもありがたいし、ああ、ここまで読んでくださるかたもいる、こともありがたいなあと、思うこと