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自分を仲間に。


哲人 みんな等しく平らな場所を歩んでいる。「優越性の追求」とは、自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、他者よりも上をめざさんとする競争の意思ではありません。
青年 人生は競争ではない、と?
哲人 ええ。誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいいのです。もちろん、他者と自分を比較する必要もありません。

「嫌われる勇気」
岸見一郎・古賀史建

「みんな等しく平らな場所を歩んでいる。」

平たい言葉ですが、深い言葉です。

あの人は高いところ。私は低いところではない
自分だけ険しい道、ではなくみんな平ら。

「上ではなく、前へ」

追い抜くでも追い抜かれるでもなく前へ。

幼い頃から競争が当たり前の世界で
生きてきたので、これもまた当たり前すぎて
気づけていないことでした。

「競争しなくていい」は新鮮。


哲人 健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。
哲人 いいですか、われわれは誰もが違っています。性別、年齢、知識、経験、外見、まったく同じ人間など、どこにもいません。他者との間に違いがあることは積極的に認めましょう。しかし、われわれは「同じではないけれど対等」なのです。

同上

理想の自分が、前の前の方にいて、
そこに近づいていくだけ。
そこにたどり着くための、自分のための
ルートや速度や歩調を考えればいい。
一人で行けないなら、誰かの力を借りて、
いけばいい。
誰かとは、競争相手ではなく仲間。

哲人 あの人には勝った、この人には負けた、と考えているのですから。劣等コンプレックスや優越コンプレックスは、その延長線上にあります。さて、このときあなたにとっての他者とは、どんな存在になると思いますか?
青年 さあ、ライバルですか?
哲人 いえ、単なるライバルではありません。いつの間にか、他者全般のことを、ひいては世界のことを「敵」だと見なすようになるのです。

同上

他者全般だけではなく、
世界さえも敵だとみなす。
おそろしい。けど、そうなってんだろなあ。


ともすると、自分のことさえ敵と、
みなしてしまいそう。
思うようにできない自分、
あきらめている自分、
自分の嫌なところばかりがみえて、
理想からは程遠い自分。

わたしの若い友人が少年時代、長いこと鏡に向かって髪を整えていたそうです。すると彼は、祖母からこういわれました。「お前の顔を気にしているのはお前だけだよ」と。

同上

他者は自分を気にしていない。
自分が他者や、世界を気にしているほどに。

それなのに、仮想敵をつくっては、
自分を落としてしまうのはもったいない、
というか悲しい。

同時に、

自分のことを見ている、
一番知っているのは自分。ということも
実はなくて、
自分が思うほど自分を知らない、
見てない、気にしてないかもしれない。

自分以上に、自分を知る他者を、
敵ではなく仲間に。

自分を追い込んでは敵にしないで。

自分を敵にしないで、
自分を仲間に。


哲人 大切なのはここからです。「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方はまったく違ったものになります。世界を危険な場所だと思うこともなく、不要な猜疑心に駆られることもなく、世界は安全で快適な場所に映ります。対人関係の悩みだって激減するでしょう。

同上

敵では思ってないよ!

と思っていたけど、深層では、
思ってたのかも。
人に頼るのが苦手な私は、
それは優越コンプレックスからくるもので、
頼らない自分を、優越化してるだけ、
強く見せてるだけなのかもしれない、と。

それすなわち、敵。

最近人に、助けて、とちょっと言えて
頼ることができつつある私は、
敵ではなく、仲間だと見始めているのかも
しれない。

そんな単純なことだけれど、
「不要な猜疑心」を捨てきれたら、
楽だろうなって思います。

世界の見え方が、変わります。
それは、世界が変わったんではなくて、
自分のメガネがかわっただけ、なんだろうな。

今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。

きょうよかったこと3つ
・月がいつのまにか大きくなっていた。ああ、月見る余裕もなかった、ではなくて、世界は動いてる、と思えた。月の満ち欠けを追わなければいけない、なんてこてはないのだからと。
・普通電車でかえってきた。特急に乗り換えれば早かったけど、あえて普通。そんなゆとり。
・自然体でいれた。



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