「男の作法」
タイトルからして、今の時代からすると
ひっかかりそうです。
この本の「はじめに」には
昭和56年3月ー とあるので、
私の生まれる一年前。43年前。
だから「許される」(誰に許されるのかは不明だけれど)ことや、
だから「新鮮」に浮かび上がることもあります
40年では変わらない、
不易なことも。
「時代と社会が変わっている」
というのは、
きっと、今から40年前のときに、
さらにそこから40年前と比較しても
変わってたんだろうし、
今から40年後の変化はもっと
大きいんだろうな。と思う。
時代や社会よりも、なによりも
自分が一番、変化している。
「みがく」という普遍的な
人間の営みがあるからなんだろうな、と思う。
そんなたいそうでなくても、歯磨きと同じ。
他山の石、って、中学の授業で聞いたぶりに
聞きました。あの30年前は、よくわからん
かったけど、
他山の石ー
「よそのできごとや自分に対する批評が、自分の知徳をみがく助けとなるということ。」
というのを身に沁みて感じられるのは
30年の辛苦のおかげなんだろなあ。
「みがきどき」っていうのが好きです。
いつもいつも磨きっぱなしだと
擦り減ってしまいます。
「ここぞ」のときに、みがきがかかる。
見捨てず
見逃さず
見失わ
歯磨きどきは、
ごはんのあと。
と思うと、
苦しい時だけでなく
おなかいっぱいで、幸せな時も。
いや、そんなときこそ、
みがきどきかもしれません。
苦しい時でも
幸せな時でもなく、
「なんでもないとき」
こそ、
みがきどき。
かあ。難しい!!
ああ、きょうも働いた。
ああ、ごはんたべた、ごちそうさま。
では、死を思い、磨こう。
なんて、ならない!笑
から、意味がある。
私はわりと、
毎日死を想うところがあって、
不思議がられるんですが、
だいたいそれを思うのって、
仕事してたり、
遊んでたりではなく、
「歩いてる時」
なんですよね。不思議と。
歩いてると、自分の周りの景色が変わります。
歩くのをやめとると、景色もとまります。
また歩くと、景色もまた動きます。
そして思うんですよね。
「生きてる」
って。
そして思うんですよね
「あ、ここで車に轢かれたら」
とか。
なので、
「きょうも、よく生きたなあ」
とか
「あしたは、なにして生きていこう」
とか
「10年後は、どう生きてたいか」
は、
「なんでもない,歩いてる時」
に
考えると、効果的です。
それが男の作法というか、
私の作法です。
と、書いてていま気づきました笑
やっぱり、歩くことは生きることです。
あと40年生きる予定なので、
だいたい折り返したなあ、と
ここ二年くらいは考えてます。
それを何年設定にするかは、
だれかが決めるんではなくて、
自分で決めていいんですよね。
そんな生きないかもしれないけど。
死ぬところに向かって生きる
ってなんともまあ、矛盾した感じがしますが、
生きること自体が矛盾だらけなので、
まああんまり気にしないことにします笑
きょうも生きて、
お読みいただきありがとうございます
コカコーラのトラックが
妙に異彩を放ってたのは
異様な暑さのせいでも、
特異なかたちのせいでもなく、
自分の心の状態が
そうさせるんだろうなあと思います。
なんか、かわいいトラックでした。
カメラは、撮る人を映してるんだ
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