訳もなく好きなことの尊さ
息抜きと趣味は違う、といえば違う。
そう考えたことはなかったけど、
「趣味は?」と聞かれた時、または聞いた時の、
回答は「仕事以外の」「仕事を忘れ夢中になり」
「仕事のストレス解消法」を指すことが多い。
バスケ、サッカー観戦、読者、ラーメンが
「趣味」として答えてきたが、
「本当の趣味」は、なんだろう?と思ってきた。
「ストレス解消法」であるから、
なるべく、いやまったく負荷のないものが、
多いのがいまの「趣味」なのかもしれない。
となると、「趣味を仕事に」というのは、
どこか矛盾してきそう。
そうなると、
「好きを仕事に」なのか、
「仕事を好きになる」のか。
そのいずれもまた難しく抵抗感もあるが、
村上龍さんの言葉をお借りすれば、
「好き」は、心が震える。
精神はエキスパンドする。
失望も歓喜も興奮もある。
真の達成感、充実感、
コストとリスクと危機感を伴う
行為の中にあり、常に失望や絶望と
隣り合わせに存在している。
と思えば、仕事が好きというよりは、
趣味というよりは、
「好きなことは仕事だった」のかもしれない。
し、それはまた尊いことかもしれない。
とすると、趣味には好きかま含まれるけれど
好きに収まらないものもある。
それが、仕事なんだろうと思う。
村上龍さんにとっての小説は仕事で、
「特別」にいつも置いておくことでこそ
成り立つ。成り立つというか、限りがない。
仕事には限りがないように、
好きだけではいけない世界がある。
そう思うと、趣味は日常で、
日常的行為で、「予定調和」とあえて
言い切るとなっとくがゆく。
映画や読書、スポーツと、それをしたり、
みたりすると、ほぼ予定通りに満足がゆく。
だから安心だし手放せないものになる。
趣味と仕事と、好き。
うまく使い分けると、豊かになれる。
他人に説明できないのが、好き。
って、納得がいくし、うれしくなる。
それでいいんだなってなる。
なぜ好きか聞かれても
「だって、好きなんだもん」。
もし説明がついたら、そんなにでもないのかも
しれない。
趣味は、結構説明がつく。
じゃあ、何かを生み出すような力になる
「好き」ってなんだろう?となる。
説明のつかない人を好きになることと、
説明のつかない、気づいたらやってること、
かもしれない。
note。書くこと。これが私の好きなこと、今。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。
きょうよかったこと3つ。
・きょうも自分から人に声かけた。これで2日連続。奇跡。
・また図書館で15冊くらい借りてしまった。これで2回連続。自分のレアが日常になり始めた。
・海鮮丼が上手に作れた。