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たしかに。でもね。


わかっていることを、
わかっている言葉で書く

竹内 池上さんは、テレビで話すときや文章を書くときに、「アイデンティティ」という言葉を使いますか。
池上 使わないようにしていますね。
竹内 一緒ですね。なぜかと言えば、アイデンティティという言葉が、どうも自分の中で腑に落ちていないからなんです。「自己同一性」と言われても、ピンとこない。自分の中でよくわかっていない言葉を使うというのは、やっぱり気持ちの良いものではありません。
池上「自分が腹の底から意味のわかる言葉以外は使わない」という方針には、賛成です。

「書く力
私たちはこうして文章を磨いた」
池上彰・竹内政明

「アイデンティティ」という言葉を
むしろ好んで使ってきました。たしかに、
ピンときてないけど聞こえと馴染みがよくて。

たぶんきっと、このアイデンティティ的なもの
は、どこまでいっても端的に的確に、
あらわす言葉はみつからないんだけれど。

「自己同一性」だなんてもっとこう、
しっくりこないんだけど。

「自己」という、「他」とは分け隔てた「何か」に
自分が反応しているのはたしかだ。

でも、
そこに感じていることを否定したくはない。

それを「伝える」とか「伝わる」ということに
なれば、そういうわけにもいかず、
「言葉を使う」うえでのある、違和感は
忘れずにいたいなと思う。

これは、「言い換えればいい」ということでもないんですよね。カタカナ語を日本語に書き換えればいいということでもない。例えば、「アイデンティティ」を「自己同一性」とか「自分が自分であることを確認できるもの」とか言い換えたところで、それで腑に落ちていなければ、意味がないんですよね

同上

問題は、「腑に落ちているか」どうか。

たしかに、noteに書いていることというのは、
そこに責任や報酬があるわけではなく、
書きたいことを読みたいことを書いているので
「腑に」落ちている。

竹内「伝わらない」というのが、一番まずい。「わかりにくい」であれば、まだ「そのわかりにくさがいいんだ」という文章もあるのかもしれませんけれども、「伝わらない」の
は救われようがない。「伝わらない」文章というのはだいたいにおいて、自分でもよくわかっていないことを、自分でもよくわかっていない言葉で書こうとするときにできてしまうものだと思うんですよ。だから、わかっていないことについては書きたくないし、よくわからない言葉は使いたくないんです。

同上

でも、「伝わらなければ意味がない」のもたしか

それが、自分がわかっているものでないと
いけないということも、たしか。

でも、「自分がよくわかっていないこと」を、
書き表してみることで、「輪郭が見えてくる」
こともある。
noteはありがたい。

池上/さらに言えば、これは、専門家や新聞記者に限らず、一般の方の文章にも言えます。
文章というのは、自分が本当にわかっていることを、自分の言葉で書くのが基本です。背伸びをしないで、ありのままで書くのが、「読者を惹きつける文章」への近道なのかもしれません。

同上

だとすると、「わかってない」ということを
ありのまま書く、というのは、自分で
「わかってる」ことなので、書いていいのかも
しれない。

「アイデンティティの意味はわかりません。
 でも」と。


一般の方は、とにかく「理想」を目指して、「理想的な文章」以外はダメだと切り捨ててしまいがちだと思うんです。でも、そんなことをして、自分にダメ出しばかりしていたら、一文も書けなくなってしまう。「恥ずかしい文章を書きたくない」と向上心を持つことは大いにけっこうなことだと思います。いつも「いやあ、我ながらすごい文章が書けた」と満足ばかりしていたら、それは進歩しません。とはいえ古典になるような名文と比べて、「自分の文章はダメだ」とくよくよ悩んでいるのは意味がありません。

同上

理想は、「アイデンティティとは何か」と
言い切ることだと思えば、たしかに、
なんもいえねえ。となる。

けど、それをわからない、と書くのは、
恥ずかしいことではない。と思うことにすれば
書けるんだ。

いやあ、アイデンティティとはずばり!!
とわかったふりをしないことは、
自分に嘘をつかないことでもある。

悩んで書かないよりは、書くのがいい。

そういう意味で、「ベタに書くことを恐れない」、つまり「工夫せずにそのまま書くことを恐れない」というのも、文章を書くにあたって、すごく大事な感覚だと思うんです。
そもそも、「そのまま書けた」ということは、少なくとも読者に「伝わる」文章が書けたということですから、恥ずかしがるようなことではまったくないと思います。とにかく「人と違う書き方をしなければいけない」「他の人が思いつかないような書き方をしなければいけない」というのは、あくまでプロの問題意識であって、素人は気にしなくてもいい。

同上

「アイデンティティ、よくわからんけど」と
そのまま書けた。
よくわからんけど、こう思うんだよね、と
そのまま書けた。
素人なので。

かっこよ。
にかかなくていい。
かけなくても恥じることはない。

たしかに、そのことが、伝わる。
という実感は今年一年毎日かいてきて、
いただくスキやコメントからも感じます。

だいたい、背伸びした、
「これイケてる」みたいなときほど伸びません笑

だからこそ、
自分の思いついたこと、身の回りの身近なこと
にこそ、自分がわかっていることだし、
わからないことはわからないという勇気を。

今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。

きょうの本心。
「アイデンティティ」もわるくない。

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