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真を写す、写真


ということを思いました。
真実を写す、というよりは、
真心・まごころを写す。

最近、写真というものが好きなんですが、
そもそもなんで、「写真」って書くんだろう?
とふと疑問がわいたのは、
きょうこんなお話を聞いたからでした。

本イベントでは、2023年3月にあなただけの1枚を生み出すコミュニティ・ストックフォト 『cizucu(シズク)』をリリースした株式会社cizucu代表取締役CEO兼CTOの太田優成氏をお招きします。
『cizucu』は、「写真のあらゆる課題を解決する」ことを事業の核とした写真特化型SNSです。

https://kandai-merise.jp/event/1718/

太田さんのお言葉より。

創業以前から抱いていた疑問は、
綺麗な写真をその場で削除されること。
その価値を見出す人が世界のどこかにいる。

たしかに、いい写真撮れたなあ、と思っても
基本的にそれをどこかにアップする、ことは
なくって、カメラロールに眠ってるか、
すぐ空きストレージ満タンになるので削除する

わたしの場合はnoteにつけて記事にすることは
あるけれど、それって写真そのものの価値、
というよりは、文章に紐づいているし、
せいぜい一枚。残りの写真は世に出ない。

ましてやそれが、どこかの誰かの役に立つ、
とまで思わずに、ましてましてやそれが、
「お金になって買われる」世界は想像したことが
なかった。
世界のどこかに価値が届くかもしれない
なんて。

世の中の澱みをなくす

テクノロジーで世の中を滑らかにする。

個人のミッション、をこんな風に
太田さんは話されていました。
写真を撮ってる人に気付いても、
写真を削除していることに目を向けている。
しかもそこにあるだろう真心を置いてかない。
「削除したくないけどな」とかもたぶん、
当の本人は思いもしないんだけれど、
逃さずそのシーンを写しとる目、というか心。

「澱み」って淀み、なら読めたけれど、
最初読めなかったうえに、
さんずいに「殿」なんですね。

不快とか、不満とか、不安とかの解消でなくて
「澱み」って、楽しげをまといます。
けして、よどみがいいことではないんだけど、
普段は誰も気づかないくらい小さい揺らぎを
みつけて、「ならす」ことは、優しさを残します


既存SNSに対して抱くプレッシャーは、
フォロワー数(数が増えると排他的になる)
クロップ(スクエア写真は構図を損なう)
動画中心であること(動画はハードルが高い)
インフルエンサーでいないといけない。
そこにあるのは虚像の自分。

note一年書いてみて思うことは、
だんだん虚像になることです。
とくに最初の1か月。2週目くらいから
伸び悩むいいね数、フォロワー数。
そうして気をてらうようになって、
虚像は膨らみやがてそれが実像になる。
と、気づかないくらい自然と。ああこわい。

まさにプレッシャー。
だれかれとでもなく、べつに与えてこなくて、
自分で自分にかけはじめるプレッシャー。

への違和感。をほっとかないところが
すごいです。

不便な体験をつくったとしても成立する。
便利が幸せにつながるとはかぎらない。
その違和感にかけてみたかった。

タイパにコスパに効率重視の世の中で、
便利にすればするほど売れるはず、なのに
あえての逆をいかれていました。

不便を探究してみたくなりました。
不便な方が、面白い。
ひょうげない。

本事業で実現する世界観
あなただけの運命の一枚を生み出す
社運を変える運命の一枚を生み出す

繰り返し、企業への提供価値として
語られていました。
to C、カスタマー本位だけではなくて、
企業もCなんだ。
そのハブになりうる事業、マッチング、
はまだまだ澱みがあるかもしれない。
マージンという澱み。

目から鱗だらけ。

who を大事にしている

what でもwhyでもhowでもなく、
一番大事にされているのはwho。


好きじゃなくてもいいんじゃない。
好きか嫌いか、白黒つけなくていい。
それで動けなくくらいなら

ひびきました。
好きなことを仕事に、っていう順番じゃ
ないんだ。
やってるうちに好きになることもある。
まずやる、動くが先なんだ。

そういえば、自分が好きなものやことって、
最初から好きだったわけじゃないんですよね。
あたりまえだけど、あたりまえだから
きづいてなかった。

スマホで、なにげなく街中で、自然や、
人工物を撮っていた。ら、好きになってた。

note書いてたら、書くことが好きな自分という
新しい自分の別の自分らしさ、を得ただけだ。

写しているのはいつも、自分の真の心。

書くことも撮ることも、残すことも、
それを世界のどこかに届くことも。


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