「優越コンプレックス」
劣等感のコンプレックスなら、人見知りやコミュ症や陰キャラだったり持ってます。店員さんを呼びとめて注文することができません。
優越コンプレックスは知りませんでした。
「できない自分」を受け入れてはいますが、受け入れきれてないんだろうなとも思います。
「人見知りだから、コミュニケーションとれない」とどこかで決めています。
そのコンプレックスを補償するための一つに、
「人見知りな要素では負けない」と、
並び立てては誇るようなところがあります。
みんなが普通にできる、
店員さんを呼びとめて注文すること。
みんなが普通にできる、
目線を合わせて喋ること。
みんなが普通にできる、
会話に割り入って自分の話をすること。
それが「できないことがすごいだろ」と
言わんばかりに。
また、「できないことは不幸だろ」と
ばかりに「不幸自慢」をしていたかもしれない、と思います。
それが、優越コンプレックス。
「できること」もあるはずなのに、
それは小さいことだからということにして、
それを胸張ってできることではないと決めて、
「できないこと」をひけらかす。
ああ、書いてて恥ずかし!
権威というのは、
「〇〇さんという有名な人と友達」
みたいなことのようです。
最近では、つい、
「〇〇フォロワーもいらっしゃる
〇〇さんから、フォローしてもらえた!」
などと思ってしまったり言ってしまうのですが
素直に嬉しいことにちがいないですが、
どこかでそれをひけらかすことによって、
コミュ症なわたしでも、
そんな発信ができるようになった!という
優越コンプレックスに「補償」を
求めていたのかもしれません。
他者の人生を生きている。
弱さは、強さ。
赤ん坊はその弱さを認めざるを得ないけど、
歳を重ねるほど弱さを認めたくなくなります。
結果、弱さは隠し強さを誇示し、
支配される人生になる。
自分で自分の人生を支配するのは、
弱さを認めることから。
不幸が必要。そうでした。そうでした。
武器にしてました。
武器を捨てるのがこわくて。
武器を捨てよう。
あ、捨てられない気がするので、まずは、
武器にしてることを認識することから。
どんな矛や盾を、自分は武器にしてるのか。
理想の自分ではなく、過去の自分でした。
過去の自分のまま、他者と比較してました。
理想の自分がもっている武器とは?
自分自身を、人間扱いするところから。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。
きょうは泣くほど嬉しいことがありました。
泣くというのは赤ん坊のもの、のようですが、
泣くという弱さを、思い出しました。